2020年2月17日月曜日

歴史の教訓話に悪用しがいがある『オスマン帝国—繁栄と衰亡の600年史』

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古代からの文明の中心地にあるのに、なぜか世界史だと辺境観がある中東。中東問題が起きる度に、あの辺よくわからんなーと思っているのは私だけではないはず。以前、『イスラームから見た「世界史」』でちょっとはキャッチアップしたのだが、トルコ周辺は国名がはっきりしないし、最高権力者の肩書きも分からないぐらいなので、『オスマン帝国—繁栄と衰亡の600年史』を拝読してみた。

整理整頓が行き届いた本で、序章で全体を俯瞰したあと、封建的侯国の時代、集権的帝国の時代、分権的帝国の時代、近代帝国の時代と時代を区切って話が進み、終章で現代トルコとのつながりが短く示唆される構成で、イスラム世界では辺境部、キリスト教世界でも辺境部、多様な宗教や民族が存在するアナトリアに根付いたオスマンと言う遊牧部族の集団が封建的侯国を形成し、ティムールに滅ぼされかけたり、後継者問題で内乱が生じたりと苦難を乗り越えつつ、周辺国などの統治システムを取り込みつつ独自の制度慣習を生み出し集権的帝国に発展、ビザンツ帝国とその残党を滅ぼし、黒海と東地中海を勢力圏に納め、西の欧州、東のペルシャやアラブに領土拡張をしていくものの、次第に欧州勢の同盟に包囲され、近代化の遅れにより軍事的優位を喪失*1、属国や領土を失う中で近代化を試みるものの、主導権争いのために上手く遂行できず、最終的に君主制から共和制に移行する事になるまでの長い歴史が語られる。

欧州の外敵といった程度の教科書的な世界史的な印象しかなかったのだが、そこに性質を変化させながら存続を続けた政治機構があったことが分かる。軍事や政治に奴隷を登用し、奴隷との子を支配者の後継とすることで、門閥や外戚等の政治的影響力を抑制したりと、そんな発想は無かった感のものが詰まっている。跡目争いの教訓から、帝位についたら兄弟皆殺し。御都合主義的なイスラム教の受容程度の変化も、イスラム教と言えば原理主義と言う発想の人には新鮮かも知れない。マムルークからの購入やデヴシルメ制によって調達した奴隷によって構成されていた常備歩兵軍団イェニチェリが、特権目当てのムスリムのトルコ系で構成されるようになり、皇帝を殺害したり更迭したりするほどの政治集団化する一方、装備や訓練が時代遅れになり欧州に対抗できなくなったのは、いかにも既得権益者集団といった感じの寓話である。(著者はそんな安易な教訓は導き出していないが)歴史の教訓話に悪用しがいがある。

*1本書は軍事技術の本ではないので、細かいところは『戦闘技術の歴史2 中世編』『戦闘技術の歴史3 近世編』などを参照しよう。

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