
現在の経済理論は大きくゲーム理論、特にナッシュ均衡に依存している。ナッシュ均衡は科学分野の基礎方程式と異なり帰納的に得られた法則ではなく、公理から演繹的に議論しているものなので、囚人のジレンマのようにありそうな状況を描写できる一方で、全く現実味のない状況を主張することがある。その代表例が、「旅行者のジレンマ」だ。1994年に現在の世銀総裁のBasu氏が考案したもので、2007年に日経サイエンスで紹介されたものだが、昨日、Twitterで地味な話題になっていた。
インターネット上で話題になっている事件を、理論とデータをもとに社会科学的に分析。
現在の経済理論は大きくゲーム理論、特にナッシュ均衡に依存している。ナッシュ均衡は科学分野の基礎方程式と異なり帰納的に得られた法則ではなく、公理から演繹的に議論しているものなので、囚人のジレンマのようにありそうな状況を描写できる一方で、全く現実味のない状況を主張することがある。その代表例が、「旅行者のジレンマ」だ。1994年に現在の世銀総裁のBasu氏が考案したもので、2007年に日経サイエンスで紹介されたものだが、昨日、Twitterで地味な話題になっていた。
文筆家で自身も難病患者である大野更紗氏が、厚生労働省の医療費自己負担限度額引き上げ案によって、難病患者を抱える家計が困窮してしまうと批判している。これに付け加えて、そもそも難病に対する公的支援の制度に問題があると、東京大学の松井彰彦氏も厚労省を批判している(朝日新聞)。
しかし、お二人の主張は良く分かるのだが、一つ大事な前提の説明が省略されてしまっている気がする。松井氏こそそれに最も詳しい人の一人なので気が引けるのだが、勝手に補足してみたい。
経済評論家の池田信夫氏が「代表的家計と民主政治」と言うエントリーで、一般均衡理論についてソーカル事件を引き起こしている。「代表的家計について」でも同様の事を言っているので、ずっと誤解をしているようだ。
Sonnenschein-Mantel-Debreu定理に言及しつつ「社会に多くの異質な個人や市場があると、均衡は存在しない」と言っているのだが、これは定理の主張と異なる。定理は、均衡は存在するが一意とは限らないと主張している。また、ワルラス調整過程の前提に加えて、生産関数や需要関数に仮定を追加する事で、一意な均衡を得ることができる*1。
マルクス経済学者の松尾匡氏が『「小さな政府」という誤解』と言う連載を開始している。しかし、平易な文章に見えるのだが、松尾氏は作為的に議論を混乱させているようだ。
学者の文章らしくなく用語や論点を明確にしないで、読者の感覚に訴える側面がある。どうも経済学ではなくて政治プロパガンダの一貫のようなので、気付いたところにつっ込んで生きたい。
経済評論家の池田信夫氏の『雇用改革なしに「デフレ脱却」はできない』と言うコラムが出ていたのだが、一度主張したら不退転の決意でそれを主張し続ける池田氏の性格が良く現われた内容になっている。
改正労働契約法について相変わらず事実誤認があり、デフレーションの賃金要因説に関しても錯乱があるようだ。主義主張のために事実認識や論理展開が捻じ曲がっているのは良くないと思うので、問題点を指摘してみたい。
どちらかと言えば良い事だと思うのだが、在特会は世間を意識してデモ中の発言内容を修正しだしたようだ。 『司法による勧進橋児童公園不法占拠事件の偏向判決を許すな!デモ』で、10月10日の時点で、以下のような注意書きが付け加えられていた。10月22日のバージョンでは、禁止用語が婉曲的な表現に変わっているので、古いバージョンから引用してみたい。
改正労働契約法の第十八条で、通常は1年ごとに更新される契約社員などは、5年間で無期雇用にしないといけないと明記された。一部から評判が悪いこの改正、国家戦略特区ワーキンググループで10年まで更新できるように、再改正を目指すことが決まったそうだ(NHK)。
ただし正式に公表された文章は無く、報道機関ごとに捉え方が異なっている(雇用特区は断念、有期は10年へ?)。何はともあれ、もはや特区の話しではない。
慶應大学法学部教授の塩原良和氏のヘイトスピーチに関する『ヘイトスピーチと「傷つきやすさ」の社会学』がよく理解できない。比較的長い作文なのに、用語定義と事実関係を曖昧にしたまま議論が展開されているからだ。主張の是非はともかくとして、心と心で通じあう社会学者以外にも読めるものにするために、少なくとも具体例を幾つかあげるような議論をして頂きたい。
何かと教育再生実行会議が話題だが、日本の文系学部が死に体になっている理由の一つに受験科目があると思う。数学が無いと何も出来ない時代なのだが、受験科目に数学が無いためか極端に数学に弱い学生が存在し、それにあわせて講義内容がおかしくなっているケースもあるようだ。
根本的な解決策として受験科目に数学を課したり、高校卒業試験を設けたりして、数学を勉強させたりすることが考えられるが、留学生などで母国で受けた数学教育が十分でないケースも存在する*1ので大学側で補習的な数学教育を準備する必要があるであろう。そういう時の教材に『(改訂版)経済学で出る数学 高校数学からきちんと攻める』は優れていると思う。
『経済学が科学ではない、たった1つの根本的な理由』と言うエントリーが人気になっていた。典型的なパターンなのだが、経済学に対する無知によって構成されている。
問題のエントリーは、科学は(=事実解明的)な側面しかないのに、経済学は実証的な側面と規範的(≒道徳的)な側面があり、用語定義からして規範的な要素を抱えていると批判している。実証的な部分をとれば科学的とも言えるだろうし、用語定義の段階から規範的になっているわけではないから、不正確な主張になっている。
理論経済学者の松井彰彦氏の朝日新聞に掲載されたエッセイに関して、労働法学者*1の濱口桂一郎氏が「経済学者の意識せざるウソ」と事実認識に間違いがあると指摘している。松井氏は著名な経済学者なのだが、実務よりの濱口氏から見ると事実認識に不満があるらしい。しかし、問題の指摘方法が丁寧とは言えずちょっと分かりづらい主張なので、出来る範囲で解説してみたい。
金融業の人はかなり違和感を持つと思うが、経済評論家の池田信夫氏がマイケル・ミルケンが敵対的買収の技術としてジャンク債を開発したと主張している(BLOGOS)。池田信夫氏曰く、敵対的買収のために債券を発行して資金調達を行うと、買収失敗時に債券価値が無くなるので、ジャンク債と呼ばれるようになったそうだ。全般的に債券や企業買収に対する理解が足りないと言うか・・・妄想が書き並べてある。
労働問題が御専門の濱口氏が「民法第1条第3項を適用除外する特区!?」で、経済学者の八田達夫氏などから出された解雇特区について、「法の存立構造を根本からわかっていない」と疑問を呈している。しかし労働者の権利を擁護すべきなのは分かるのだが、それ以上に制度の狙いが良く分からなかったりする。
経済評論家の池田信夫氏が『「軽税国家」日本で増税はなぜこれほど困難なのか』で、負担と受益のバランスが崩れているので、増税に関して国民的合意が取りづらいと主張している。趣旨が分からなくも無い部分もあるが、色々と事実誤認が多くて問題点が多いし、消費税率引き上げに賛成してきた今までの池田氏の論と整合性が無い。
文芸評論家の東浩紀氏の民主制度に対するツイートが人気になっていた。はてなブックマークに「民主主義について考えたいなら、政治学の教科書でも読んだほうがいい。」と言うコメントがついていたが、本当に「政治学 補訂版」でも読んだ方が良さそうだ。文芸作品の読みすぎで、虚構と現実の見分けがつかなくなっている気がしなくも無い。