倫理学は「何をすべきで、何をすべきではないか」を抽象的に定める規範倫理学、それを現実の問題に適用しようとする応用倫理学の他に、議論の基盤になる「良い」「悪い」のような言葉の意味や、道徳の実在性などの前提を整理するメタ倫理学に分類されている。
この中でメタな部分だけを取り上げるのはマニアックな気もするが、倫理や道徳の相違を考えるためには効果的なアプローチになるし、人々の倫理観や道徳観が一致しない以上は相違を考えていく必要が出てくる。つまり、道徳実在論や認知主義といったラベリングを理解したい。
インターネット上で話題になっている事件を、理論とデータをもとに社会科学的に分析。
倫理学は「何をすべきで、何をすべきではないか」を抽象的に定める規範倫理学、それを現実の問題に適用しようとする応用倫理学の他に、議論の基盤になる「良い」「悪い」のような言葉の意味や、道徳の実在性などの前提を整理するメタ倫理学に分類されている。
この中でメタな部分だけを取り上げるのはマニアックな気もするが、倫理や道徳の相違を考えるためには効果的なアプローチになるし、人々の倫理観や道徳観が一致しない以上は相違を考えていく必要が出てくる。つまり、道徳実在論や認知主義といったラベリングを理解したい。
『「地位はあるけど教養がない」人たちの末路』と言うエッセイが話題になっていた。論理の飛躍が大きく読みづらい文章なのだが、曰く、(1)哲学を知ることで、批判的思考によって現状を把握し、状況の変化に適応するための提案する事ができるのだが、(2)教養が無い人は哲学を知らないので、社会的地位がある場合は脅威になるそうだ。
POPSCIに、グーで殴るノウハウが紹介されていた。親指を挟んで殴ると脱臼するのでやめろ、人差し指と中指をヒットさせて薬指と小指は直撃しないようにしろ、最適な歩幅を保て、殴ったあとは反撃を受けないように構え直せ等々書かれているのだが、銃社会の米国で何を言っているのかと言う感じである。映画やドラマで肉弾戦をするから影響するのであろうか。日本で剣道や呪術にはまっている人は見かけないのだが。なお、「SASサバイバル・マニュアル」には怪我をしないように掌底で急所を突けとあった。
「余命三年時事日記」と言うブロガーが、自身が気に入らない弁護士を対象に懲戒請求のテンプレートを用意し、それに載って数百人の人々が懲戒請求を行った事に対して、ターゲットとなった神原・佐々木・北弁護士が業務妨害を理由に訴訟を起こした/起こそうとしている。過去の弁護士の懲戒事例を見ると三名が懲戒に該当する可能性は無さそうだし、請願ではないのだから集団で行なう事ではないと思うのだが、原告側の勝利が自明なのか疑問の所があるので記しておきたい。
ネット界隈で「本当の…」と言う言い回しを見かける事は多い。「本当のシシャモは北海道の太平洋沿岸でしか捕れない希少資源で、そのカラフトシシャモは紛い物だ」と言うような、広く認められている定義が“本当”なのであれば良いのだが、大半は独自定義になっており、「お前がそう思うんならそうなんだろう,お前ん中ではな」と言いたくなる。さらに、単に独自定義になっているだけではなく、詭弁・強弁として使われる誤謬も2パターンぐらい見かける。
インターネットは名誉毀損やプライバシー侵害行為、著作権侵害行為などが深刻化しやすく、侵害行為を行なっている者や機材が国外にある場合もあり、取り締まる難易度や費用は低くない。そもそも、被害の原状回復が難しいことが多い。
そこで、ネットワークの設定で通信遮断をして、迅速にこれらの被害拡大を止めようと言う動きがある。実際、児童ポルノ対策ではブロッキングがされる事になった。著作権侵害行為に大しても同様の措置を取ろうという動きも強くなりつつあり、それに対する反対の声があがっている。
ラジラジ言っている北海道の心理学者PsycheRadio氏と話をしていたときに、「心理学で(他の学問でも)統計的検定や推測統計学への批判が高まって以前ほど使われなくなりつつある」と言われたが、違和感がある。少なくとも社会科学分野で使われなくなったとは聞かない。話の流れにあわせて誤魔化されている気がするので確認してみた。
杉田水脈衆院議員が、政治学者の山口二郎氏が過去に10名を超えるグループの研究代表者として10年で累計6億円の科学研究費を取っていた事を示唆し、ちょっとした騒動になっている。杉田氏はこの金額が妥当ではないと言いたいようだが、その弁に煽られるのは問題だ。金額だけで是非を判断する事はできないし、科研費は研究計画書に基づいて文科省が採択し、その支出は厳しく管理され研究に関係の無いことへの支出は許してくれない。研究に関係ある事にも支出させてくれないと言う愚痴すらある。
ニューヨーク州立大学の博士課程に在籍中の阿部幸大氏の『「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由』『大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか』が、自身の体験を大げさに書いて注目を集めようとした虚構に基づく話だと非難されていた*1。事実関係は大事で非難も妥当なのであろうが、それ以外にも難が色々とあるので指摘しておきたい。
2018年4月27日の北朝鮮と韓国の板門店での首脳会談を、左派リベラルの言論人と韓国研究者の一部は好意的に評価しているようだ。文在寅大統領の外交手腕を高く評価し、非核化協議への影響力を失いつつあると安倍総理の外交方針が批判されている。実際、今回の合意を見ると平和条約を視野に入れることで、朝鮮戦争への関与程度が低い日本が排除されてしまっている。しかし、北朝鮮の態度の変化を説明する要因が特定できていないので、北朝鮮のコミットメントの強さなどが分からない状態である事を忘れてはいけない。これによって事態の評価は、180度変わることになる。