2023年9月16日土曜日

性的少数者を差別してはいけないとされるのは、彼らが正常だからではないよ

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文筆家の牧村朝子氏が、性的少数者は先天的で矯正不能であるので正常であり、差別してはいけないという理屈で社会運動が行われてきており、後天的であったり異常を認めざるを得ない場合は差別を不当なものとできないと指摘している*1が、さすがにそこまで脆弱な理屈だけではないので指摘したい。

同性愛は1973年まで、トランスジェンダーは2019年まで精神疾患に分類されていて、科学的に効果が確認されていない転向療法が試みられてきた*2ことへの批判を念頭に置いているのだと思うが、転向療法への反対理由が性的少数者の権利主張の根拠のすべてと言うわけではなく、むしろ理屈としては主要なものではない。

アメリカ合衆国全土で同性愛が適法だと確認されたのは、2003年のローレンス対テキサス州事件の判決によってなのだが、そこでは生殖を目的としない性行為は公序良俗に反さないことを認めた上で、アメリカ合衆国憲法修正第14条が保障する自由権から認められるとしている。先天的であるか、変更不可能であるか、生物として正常かは関係ない。

この判決のように、自由や平等を理由にした性的マイノリティの権利擁護が一般的だ。自由権を理由にすると、性的マイノリティが嫌いな人が性的マイノリティを差別する自由も肯定されるのではないかと疑問に思うかも知れないが、自由権を理由にしても次のような理屈で、採用差別、入居差別禁止、(結婚を認めない)公的差別は正当化されない(Samar (2008))。

差別は、差別する者の偏見からの主観的な利益にはなっても客観的な利益にならない一方で、性的マイノリティには主観的のみならず客観的に不利益が出る。性的マイノリティは差別を恐れて、自らの利益を自ら模索することができなくなる。自由権はこの自律性を守るためにあると考えれば、差別を許容することで可能になる自律性よりも、差別を禁止することで可能になる自律性の方が大きいので、上述の性的マイノリティ差別は肯定されない。

自律性を考えた自由権の難解な説明の他、功利主義や共同体主義からも正当化されている。差別する者が得られる利益は小さいものであり、性的マイノリティの不利益は大きなものになるので、快楽計算による社会全体の効用から、性的マイノリティへの差別を禁止する方が社会厚生が大きくなる。また、性的マイノリティには社会を破壊するような危険はないし、差別の許容は一元的な社会と言う幻想をつくりだし、実際は多元的な現代社会に不満の種を撒いて社会を不安定にする。カントの義務倫理を持ってくれば性的マイノリティは非理性的な存在で、彼らのために罰して矯正してやれということになりそうだが、快楽のために自慰を含めて性行為を行う異性愛者も同罪になる。

先天的で矯正不能であることは正常を意味しないし、社会適合するかしないかで正常か異常かを判定することが多いため、正常だから差別をするなと言う話は、社会適合するから正常なので社会は受け入れるべきと言う論点先取の議論になりがちだ。異常だから虐めろというような短絡的な人々に語りかける方便にはなるのだが、しっかりした理屈は別に用意されている。

*1LGBTにペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアも加えるべき? 「やらせろ連帯」ではなく「やってしまわないための連帯」を - wezzy|ウェジー

英語圏で始まったLGBT社会運動は、何に興奮するかを「性的嗜好(sexual preference)」、どの性別の人を恋愛/性愛のパートナーとしたいか(もしくは、したくないか)を「性的指向(sexual orientation)」として切り分けました。そして「性的指向は性的嗜好と違い、生まれつきで、変更不可能だ」と、生得性および変更不可能性を盾に、「異常ではなく正常だ」と訴えてきた歴史があります。このロジックは、当時のアメリカでは非常に有効なものでした。例えば、同性愛治療と称した拷問行為を止めるために。例えば、「女のくせに男装するなんて男を騙る詐欺罪だ」と不当逮捕される人を救うために。

ですが、これで良かったのでしょうか。

生まれつきでない同性愛者は差別されて良いのでしょうか。
やめられるけれど趣味で始めた女装は差別されて良いのでしょうか。
異常ではなく正常です、と言えない人たちは、差別されて良いのでしょうか。

牧村氏の説明では、LGBT運動家が性的嗜好が変更可能と認めてきたように読めるが、そのような事実は確認できなかった。

ところで、同性愛、両性愛、トランスジェンダーの人々は、蔑視や誹謗中傷などに反対しているだけではなく、性行為の合法化や、結婚や戸籍変更などの権利を求めているので、LGBTに「やらせろ連帯」の面があるのは間違いなく、ペドフィリアを加えて「やってしまわないための連帯」になれというのは無理がある。

*2転向療法のこれまでと今(鳴門教育大学大学院心理臨床コース教授:葛西真記子) #誘惑する心理学|「こころ」のための専門メディア 金子書房

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