2019年5月6日月曜日

平成の間に起きたことを振り返る

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令和になる直前に、平成を総括する行為が行われていた。年号による時代区分に大きな意味は無いと言う主張もあるのだが、1989年1月8日から2019年4月30日の31年強、様々な事件があったし、その時代を生きた人には様々な思い出があるのであろう。追随して、私も振り返ってみたい…と思ったが、無為に生きているので何も思いつかなかった。しかし、平成を振り返れと言う御題をいまさらもらったので、ちょっと考察してみたい。他人事感があるのだが、新興工業国の発展、少子高齢化の深化、情報通信技術の普及の3つが平成という時代に起きた大きな変化だと思う。

1. 新興工業国の発展と日本の影響力低下

中国など新興工業国の発展が、日本社会にもたらした影響は大きい。平成元年にはシンガポール、香港、台湾、韓国(NIEs)が既に開発途上国の悪循環から抜け出した存在になっていたが、その後、NIEsが先進工業国にキャッチアップした一方で、東南アジア諸国(ASEAN)と中国が直接投資(FDI)で経済成長過程に入った影響は大きかった。国際的生産ネットワークが形成されたわけだが、安価な労働力による安い工業製品が享受できるようになる一方で、1997年のアジア通貨危機のようにショックが波及してくるようになった。所謂、グローバル化。日本企業と新興工業国の企業が競合し、一次産品への需要が増加することにより、日本の交易条件は悪化するようになった。ガソリンや灯油、魚介類やコーヒーなど嗜好品の価格上昇を肌で感じている人も多いであろう。日本の国際的な影響力は低下し、外交的・軍事的な問題も多く生じるようになっている。中国の拡張的領土政策は軍事バランスの変化から日本にも現実の脅威になり、韓国の経済成長は民主化と日韓関係の悪化をもたらした。中国以外にもっと成長してもらってバランスを取るつもりだったのかも知れないが、それは令和での課題として残された。

2. 少子高齢化とその対策の遅れ

少子高齢化も、平成の大きな側面だ。昭和には約束されていたことではあるが、生産年齢人口のピークアウトは1998年ぐらいなので、やはり平成で顕在化したと言える。これに関しては若者の少ないおっさん・おばさんばかりの職場も増えているし、街で歩いているのも気づけば爺さん・婆さんばかりなので、体感している人々は多いはず。必要な住宅投資やインフラ投資なども減少しており、全般的に活気の無い社会になっている。長期停滞論などでは人口増加率の低下、人口減少もその要因のひとつとされており、マクロ経済に与えている影響も大きいと考えられている。かなり重要な問題ではあるが、政治はこの問題に対処するのに消極的だった。しかし、少子高齢化のペースを落とすような政策が十分に取られなかっただけではなく、少子高齢化を前提とした社会保障制度の再設計もうまく実行されていない。社会保障関連費の増加による政府債務の増加に対して十分な増税は行われず公的債務が積みあがる結果となったし、マクロ経済スライドの導入なども行っているが、世代間扶養を取る公的年金の制度改革は十分とみなされていない。これらも令和での課題として残された。

3. インターネットの社会全体への普及

平成の間に発明されたり普及しだした技術は山のようにある*1のだが、PCやケータイなど電子機器のハードウェア/ソフトウェア的な進歩やそれらを使ったネットワーキングが、研究開発、著作活動、購買行動やコミュニケーションなどに与えた影響は傑出している。昭和と平成の境界の前後にこれに関する技術で不連続なものはそんなに無いのだが、社会全体への普及ペースと言う意味では天と地の差がある。社会的影響で昭和の時代の鉄道網の整備などに勝るとは限らないし、経済成長への寄与は動力革命ほどはないと言う指摘もあるし、教育現場などで上手く活用できていないという残念な話も聞く*2のだが、1989年の生活を振り返ったときに今と大して変わらないと思うのは難しい。秋葉原の書泉が頼りだったプログラマも、気づけばウェブだけを参照するようになっている。ITの普及や運用に関しては人材面を含めて民間で解決すべき問題が多く政策課題はほとんど無い気がするのだが、なぜか政府は何かすることに熱心である。

4. まとめ

他にも色々あったわけだが*3、3つあげると以上になると思う。政治的にはもう少し覚悟を決めて振舞っても良かったかなと思わなくもないが、それも含めて大体なるようになっている気もする*4。なるように任せると衰退していって隣の大国に呑まれてしまいそうだが。いや、あちらもあちらで同じような問題を抱えている*5から、そうは単純ではなかった。どう転んでもアジアは(´・ω・`)人(´・ω・`)ナカーマ ,周辺国は崖っぷちにあり、日本はその一歩先を行っている。

*1科学・技術だけではなく社会科学や人文科学の一般向けの本を読めば、1990年代の発展について紹介が必ずと言ってよいほどあり、大きな貢献をしている。1980年代、昭和の日々は本当に遠くなった。

*2関連記事:対面に比べて教育効果の低いオンラインラーニングも使いよう

*3考えていけば枚挙にいとまがない。なお、プラザ合意以降の為替レートの円高方向への調整の中でバブルの発生と崩壊…は、どちらかと言うと昭和の終わりの話なので考えないことにした。バブル崩壊後の不良債権問題、銀行の自己資本比率不足による貸し剥がし、1999年3月の公的資本注入あたりは印象に残っているのだが、これも産業構造の転換や経済成長率の逓減の影響を大きく受けたものであろうし、どちらも(1)と(2)から不可避に思えるので細部としてよいと思う。55年体制の崩壊も冷戦の終結の他、産業構造の転換の影響も受けているであろう。

*4国民のコンセンサス形成をしないで政治家が突っ走ると色々と強い反発によって元に戻ったりするので、もっともうまくやれたかは定かではない。実際、55年体制の崩壊によって、議員や官僚は有権者により迎合せざるをえなくなったはずだ。

*5少子高齢化のペースは中国の方が急であるし、鴻海精密工業がiPhoneの生産工場をインドに移転というニュースが流れていたが、産業構造の転換も同様に迫られつつある。

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