2023年8月28日月曜日

科学的評価は倫理的判断の前提になるものだよ

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政治学者の田中信一郎氏が、福島第一原発のトリチウムを含有する処理水の海洋放出に関して、「「科学」の問題じゃなくて、「倫理」の問題」だと言い出した。田中氏の発言に理系 vs 文系のような対立軸を見出している理工系の人々がいるのだが、どちらかと言うと田中氏の倫理に関する知識が欠落しているのが問題になっている。

倫理と口走っているわけだが、そこに具体性は乏しい。田中氏のいう「現代社会の倫理」が何かは不明。功利主義(もしくは帰結主義)、徳倫理、義務倫理が三大倫理と呼ばれる代表的な倫理だが、これらを土台にした規範的判断には(経験則やフェルミ推定といった程度のものでも)科学的評価は必要だし、これらをもとに処理水の海洋放出を不徳するのは困難だ。

帰結主義的には、トリチウム放出には利益があるので、実際に公害が生じなければほぼ無問題。利益と不利益の見積もりに科学的根拠を用いることになる。徳倫理で考えると、これまでの原発からのトリチウム放出という公害を生じさせたことのない先例に習っているので、問題があるとは言えない。先例や模倣後の評価に、科学的評価が要る。義務倫理も、相手が実際に何を言っていようが、相手が理性的な考えをすることを仮定して、相手にとって善いことを決めてくるので、科学的に安全で環境負荷が小さいとされる汚染物質の処理放出に努めるという格率ルールが、元祖のカントに非難されるとも思い難い。

他のよく知られたノージックの権原けんげん理論のような倫理を持ってきても海洋放出がダメと言う話に持っていくのは困難だ。なお、ぼんやりとした倫理観では、だいたい辻褄があわない行き当たりばったりな判断になる。田中氏の話題のツイートは下水処理の知識が欠落していると非難されているが、倫理学の知識も欠落している。海洋放出の是非を科学的に決めろと言っている人々も、科学的評価をもとにしても倫理的判断を下していることに無自覚だったりするが。

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