2019年6月19日水曜日

物理学徒がマクロ経済学を俯瞰した『経済数学の直観的方法』

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物理数学の直観的方法*1で名を馳せた物理学徒の長沼伸一郎氏が、経済数学についての解説本『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』を出していた。経済学や経済思想史を体系的に学んだことが無い人が書いているためか、経済学全体をよく俯瞰できていないので誤解や偏見を引き起こしそうな見落としがあるので、これで経済学を語られるとちょっと困るところもあるし、内容が最近のカリキュラムとやや乖離しているのだが、誤解や偏見があることを踏まえて読める人には、物理学と経済学を対比した記述が面白いものとなっている。

1. 経済学に関する記述は…

経済学に関する記述には、用語の選択といった瑣末的なもの以外にも、根本的な誤解を感じさせる。「経済学ではその(需要と供給の)2本の曲線が交わってできる点は「パレート最適点」と呼ばれ、そこが社会にとって最適な均衡点だという思想が、現在でもミクロ経済学の一つの基礎となっている」(p.26)は、二つ誤解がある。まず、需要曲線と供給曲線が一致する均衡点は、社会にとって最適とは限らない。囚人のジレンマのような事象があれば、需給が一致してもパレート改善の余地がある。次に、パレート効率的であることは、社会にとって常に最適を意味しない。社会的厚生関数によってはパレート効率的で無い方が望ましいような状況も出てくるし、パレート効率的な状態が一つとも限らない。経済学部のカリキュラムではオイラー方程式が出てくるまで微分方程式をまったく教わらないと言うことになっている(p.230)のだが、ソロー=スワン・モデルは目に入らなかったようだ。他にもゲーム理論でオークションを学ぶと、微分方程式は出てくる。全体を通して、部分均衡と一般均衡、動学と静学、経済的自由主義(本書では自由放任主義)とケインジアンの対比がよく整理できていないように感じる。ワルラス均衡を一般均衡理論、ケインズ経済学をそうでない理論としている(p.41—42)のだが、IS-LMモデルは資本市場と財市場が同時均衡するわけで、実は一般均衡モデルになるので正しい対比ではない。古いケインズ経済学でも、動学モデルはあるにはある。一般均衡理論の計算困難性と経済的自由主義の是非は直結せず、むしろ社会主義経済計算論争のように計画経済の是非のほうに直結する。フェルマーの原理から変分法を説明するのは常道ではあるが、フェルマーの原理では光の経路は経験的に保証されている一方、ラムゼー・モデルの鞍点経路は経済がそこを通るかは自明ではない*2事が見落とされている。インフレ・ターゲット論とDSGEを密接に結びつけようとしている(p.205)が、NK-DSGEに入ってくるのは中央銀行の振舞いになるテイラー・ルールの方で「インフレ率の将来期待」(p.151)や「期待感」(p.205)ではないから、何を取り上げて議論しているのかよくわからなかった。経済学が「経済ルールを自側に都合のようように制定して,資本や情報の流れを自側に有利なコースに誘導する」ための武器としての意義が強くなっている(p.141)と当然のように書いてあるのだが、経済学の何をどう利用したらそのような武器として使えるのかが謎である。(おそらく物理学の事情がそうなので)不連続量を用いるために位相を用いると言う話がされている(p.279)のだが、ミクロ経済学で位相を用いるのは、物理学と異なり(選好に対応する)効用関数なり、生産関数なりの具体的な形状を特定できないため抽象的な議論が必要になるためで、(少なくとも修士課程のコア科目ぐらいまでは)不連続量を取り扱うためではない。

経済数学の部分も、学部生などのサイド・テキストになるかは懐疑的にならざるをえない。伝聞の範囲で統計を取っているわけではないが、今、変分法であれこれモデルを解こうと言うのは流行ではない。本書でも変分法での解放の応用の限界が低かった指摘があり、RBCで開発された手法が大きく貢献したと説明しているが、方程式を整理して(さらに近似などを行って)非線形連立方程式として数値計算をする手法が一般的であり、不連続な変数が扱いやすいDynamic Programmingが普及している。モデルを解析的に解こうと言う努力は諦められているので、「ハミルトニアンを知らなくても現場では大して困らない」(p.210)状況になっているわけだ。平成は遠くになりにけり。変文法を理解するために、最速降下曲線や等周問題などを学習しなくてもよい時代になってしまった。問題の質がよくて解析的に解くことができるRamsey Modelも、(微分ではなく)差分方程式で整理してカリブレーションでモデルの動きを確認するようなことが行われている。本書はラグランジュの未定乗数法で連立方程式を整理するところまでは念入りに解説しているが、そこはミクロ経済学で教えている部分ではあるので躓くとすれば数値演算の部分であろう。DPについての直観的理解を試みてくれていたら、かなり重宝するモノになっていた可能性があるが。

2. 経済学史に関する記述は…

経済学史の部分でも根拠不明な記述が多くある。アダム・スミスが物理学を手本に経済学を考えた(p.22)というのは、どういう根拠をもっての話であろうか。経済学が解析学を取り込みだすのは、1870年代の限界革命以後の話では無いであろうか。「ワルラスなどの均衡万能の経済学者たちは…各個のミクロ的な均衡を別々に求め,最後にそれらをつなぎ合わせてもさほどの誤差は発生せず,それでマクロな社会全体を再現できる」と考えた(p.45)とあるが、ワルラス均衡は全ての財・サービスの市場の需給が一致するまで同時に入札を繰り返す均衡なわけで、財・サービスの市場の需給をひとつひとつ一致させていく均衡とは明らかに異なり、何を根拠に逐次的な均衡計算による近似が可能だと考えていたとしているのかが謎だ*3。一般均衡理論の数理は発案者のワルラスで完成したわけではなく、よく用いられる前提下で均衡の存在が証明されるのは1950年代のアローとドブリューの貢献まで待たないといけないのだが、その辺りの話がすっぽり抜けている。「(マクロ経済学)は政策現場で実戦(原文ママ)に使えるが,後者のミクロ経済学はアカデミックな世界の実験室の中でのみ使える,基礎を探求するための学問,という図式が確立した」(p.47)とあるのだが、ミクロ経済学から出てくる政策も山ほどある。マクロ経済学に限って言っても、適応的期待のケーガン・モデルや世代重複モデル(OLG)の話や、ケインズ経済学の動学化であるハロッド=ドーマー・モデルなどへの言及も無い。動学的マクロ経済学が一般化した時期(p.74)も、30年ぐらいはずれて認識していそうである。日本で動学マクロ理論が流行らなかった理由が製造業に役立たないためとされているが、IS-LMやAD-ASと言った静学モデルが製造業に役立つ理由は示されていない(pp.76—77)。参考文献などが参照されていないので、教科書などにある概説をもとに想像を膨らましたのだと思うが、ほとんど根拠の無い思いつきが綴られている。

3. まとめと興味深い点

こういうわけで本書は経済学や経済思想史としては受け入れ難いわけだが、だからと言って完全にダメと言うことはなく、数学の解説や物理学との対比部分は興味深いものとなっている。物理学徒からみて、経済学(とそのカリキュラム)はこのように見えるのだなと分かると言う意味で、かなり貴重な本である。細かい誤認識はあるとは言え、簡単なモデルから微分方程式に習熟していける物理学とそうでない経済学部と言う指摘は、概ね妥当なものであろう(p.230)し、物理学と経済学で用語がいまいち一致しない気がするものが多いのも確か。物理学と経済学のオイラー方程式の形状の違いの理由(pp.164—166)や、動学モデルにおけるラグランジュ乗数やハミルトニアンについての説明(pp.207—227)は興味深いものがあった。

*1現代思想としての「物理数学の直観的方法」

*2無数の家計が利子率に応じて投資と消費を選択するので、最適な経路を計画的に通るかは証明が要る。まぁ、通るわけだが。

*3ワルラスはそんなに数学ができなかったと言われ、著者が言うような誤解をしていた可能性は十分にあるのだが、出典が明記されていない。なお複数の財・サービスで構成される一般均衡モデルの中の一つの財・サービス市場の均衡の所得効果を無視した近似として、部分均衡モデルを利用することはよく行われており、厳密に近似として成立するための条件の研究もある(関連記事:ミクロ経済学のマクロ的基礎)。

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