2022年8月19日金曜日

フェミニストはルッキズムなら何でも非難してきたのか問題

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ネット界隈では、フェミニストはルッキズムを声高に非難してきたのに、実際は論敵の容姿をあげつらっている、同性の異性の容貌を気にしており、性的パートナーを容姿で選ぶことを非難していないと言うような批判をぼちぼち見かける。一見それらしいのだが、藁人形論法に近いので指摘したい。

1. フェミニズム由来の言葉ではない

ルッキズムは、メディアでは1978年のThe Washington Post Magazineの記事が初出で、デブは雇わないと言うような人事ポリシーを批判する言葉であった。それから現在まで、容姿が良い労働者の方が採用や昇進に有利だとか、容姿が良い教員の方が授業評価が高いとか、容姿が良い販売員の方が販売成績が良いと言うような、評価者にとって容姿が本来重要ではないと考えられる場面で用いられることが多い言葉だ。

2. フェミニズムで言及されてきた言葉でもない

フェミニズム由来の言葉ではないし、フェミニズムがルッキズム批判をしてきたかと言うのも微妙だ*1。フェミニズムの歴史の中には、ルッキズムと言えばルッキズムになるミスコンや化粧や美容整形への批判が重要な位置を占めているのだが、アンチ美貌やデブ差別反対論を含むとは言い難い。ラジフェミのミスコン反対から固定観念に基づいた美の基準で女性の序列を容姿でつけるのには反対であったとは言えると思うが、男性が個人的に美女と思う人を好むことを明確に非難してはいない。トロフィー・ワイフは初老の社会的成功者の男性が妙齢の美女を娶るような話で、単に美女が好かれると言う話ではない。

3. 近年は言及されているが、ルッキズムならば何でも否定でもない

確認できた限りでは、欧米のFeminismに関する文献でLookismに言及されるのは1995年頃からだが*2、ミスコンと美容を非難する文脈であるのは変わらない。日本語ネット界隈では2013年頃からフェミニズムとルッキズムを絡めた議論が展開されているが*3、著名フェミニストがルッキズム批判を展開していると言うよりは、フェミニストではない人々が同時に議論をはじめている。フェミニストが「・・・はルッキズムになるのでやめましょう」と言っているのはあったが、フェミニズムに基づく主張なのか、外見を揶揄するのは侮辱なので良くないと言うだけの意図なのかは判別がつかなかった。

4. フェミニストはルッキズムを声高に非難してきたのか?

フェミニストはルッキズムを声高に非難してきたのであろうか? — ルッキズムと言う言葉は1970年代からあるが、フェミニストが議論にその言葉を用い出したのはずっと後だし、ルッキズムに分類されるありとあらゆる行為を否定しているようには見えない。表現の自由戦士界隈から聞こえてくる批判なのだが、藁人形論法に思える。ツイフェミと呼ばれるネット界隈の表現規制派フェミニストは、専門的にフェミニズムの歴史や伝統的な考え方を学んで議論しているのではなく、直観で議論しているのでルッキズムは全てダメだと言いつつ論敵の容姿を罵倒するケースもあろうが、フェミニズムを体現しているとは言い難い。

5. 論敵の容姿を罵倒するのは人身攻撃と言う詭弁

なお、論敵の容姿をあげつらって言い争いに勝とうとする行為は人身攻撃(ad hominem abusive)と言う誤謬推理であり、フェミニストがルッキズムを否定してきても来なくても非難に値する。フェミニストはルッキズムを声高に非難してきたのに・・・と言うと話が変になる可能性があると言うだけのことなので、論敵の容姿を罵倒するフェミニストがいれば、ルッキズム云々と言う話をせずに、単に詭弁だと指摘してあげよう。

*1現時点のWikipediaのLookismのページでフェミニズムに言及されている部分は無く、feminismと言う単語も参考文献の1箇所にあるだけである。

*2Mary Pipher (1995) "Reviving Ophelia: Saving the Selves of Adolescent Girls (Ballantine Reader's Circle)"に言及があるらしいのだが、確認していない('-' )\(--;)BAKI

*3フェミニズム研究家の高橋幸氏は「ルッキズムという概念は2000年代頃から登場した新しい思想フレーム。フェミニズムも外見について議論してきたが、20世紀後半のフェミニズムは「ルッキズム」というフレーミングでは議論してきていない。」と指摘していた。

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