2013年12月5日木曜日

浅羽祐樹氏の「裏ではなく逆をとれ」について

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私の難癖なのは否定しないが、用語で困惑する主張を山口県立大学の浅羽祐樹氏がしている。曰く、「裏ではなく逆をとれ」なのだが*1、用語の用法が妥当なのか良く分からない。「裏」は裏づけの意味で「逆」は立場が逆の意味だと大雑把に想像はできるのだが、違和感がある。

浅羽氏は予備校のカリキュラムが素晴らしく志望校に合格できたと言う合格者体験記の信頼性を例にあげている*2。曰く、合格者体験記は合格者の予備校への評価はあるのだが、不合格者と予備校に通わなかった人の予備校への評価はないので、その情報には偏りがあると主張している。

明言はされていないが、合格者体験記を見るだけでは「裏」をとったに過ぎず、そこに存在しない不合格者と通わなくても通った人の意見を見ることが「逆をとる」事になるらしい。(通う 通わない)×(合格 不合格)で、4種類の人が想定されている。通う・合格の人だけが合格者体験記を書き、通わない・合格、通う・不合格、通わない・不合格の人は書いていない。この主張は分かるのだが、合格・通うの補集合は3元あるのだが「逆」なのであろうか?

「裏」と「逆」は論理学での概念を思い出すし、もう少し他の言い回しはないものであろうか。「逆をとる」の「とる」も意味している所が、漏れているデータを取得すべきと言う事なのか、漏れているデータを考慮すべきなのか曖昧だ。

つまらない所なのだが、御本人の見解を聞いてみたい。「裏づけとされるデータに紛れ込みうるサンプリング・バイアスに気をつけましょう」と言ってはいけないのであろうか。ブロックされそうだけど。

*1以下のツイート:

*2以下のツイート:

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