2019年11月12日火曜日

日本赤十字社の理念は「お気持ち」ではなく血液製剤の安全性と品質の向上という帰結重視ですよ

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「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵に関するシェイクスピアを専門とする文学研究者の北村紗衣氏の言及に関して、吉峯耕平弁護士が批判していた*1ことなどに対し、北村氏が反論を行っている*2ので拝読してみたのだが、日本赤十字社の血液製剤の安全性と品質の向上に勤めるという理念が、帰結を重視していることを理解できていないのが気になった。北村氏も帰結に影響はないと認めているわけで、話題のポスターが日赤の理念に反するとは言えない。

1. 日赤の理念は帰結を問題にしている

北村氏も日本赤十字社が「献血する人、輸血を受ける人の両方を守るため、献血する人の自発性を尊重する高い倫理基準にもとづいて運営されています」と言及しているのだが、日赤の理念は帰結を問題にしている。日本赤十字社の基本理念とグラウンドデザインを見ると、血液製剤の安全性と品質の向上に勤めるとあり、そのために国際輸血学会(ISBT)の倫理綱領にあるように自発的な献血を規範としている。北村氏が「自発性を尊重する理念」を「日赤の理念」としているのは、不正確である。

2. 宇崎ちゃんポスターは帰結を悪化させない

「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は、これらの日赤の理念や運営規則を破るのであろうか。北村氏は第2節で「この広告が自分の健康に無関心な人を惹きつけているというようなことでは全くない」「性的好奇心や劣等感をかき立てられた人が献血しかねないと…いうような話は一切、していません」としており、議論になっている絵は献血者の自発性を犯していないことを認めている。当然、血液製剤の安全性と品質にも影響は無いわけで、ポスターは日赤の理念や規範に反していない*3

3. 北村紗衣氏は規範への敬意を問題にしている

何が問題なのであろうか。「この広告内では性的好奇心や劣等感に訴えて人に献血をさせることがまるで面白いことでもあるかのように描かれている」からだそうだ。つまり、身の回りの性的魅力がある女子に「まだ献血未経験なんスか?ひょっとして……注射が怖いんスか?」と煽られることで献血を促される状況が面白いと考えることが、献血者の自発性を尊重しようと言う規範への敬意を欠くと北村氏は主張している。「日赤のデザインが理念に合致しない」と言われたら、日赤の理念に貢献する規範である献血者の自発性を阻害すると主張していると解釈してしまうわけだが、北村紗衣氏は献血者の自発性を尊重する姿勢がポスターから感じられないと主張している。

4. まとめと他の問題

まとめると、北村紗衣氏の批判は、氏が求める規範に沿っていないと言うものであって、日本赤十字社の理念に反するとは言えない。微妙なところではあるが、論点すり替え論法(Ignoratio elenchi)と言う詭弁になっている。

全般的に緩い議論になっていて、献血の安全性と品質、献血者の自発性を担保する仕組みの説明に誤解を招きそうな記述になっている。「私が生まれた時、母親が輸血で肝炎になりました…こうした輸血による病気の発生は売血など、血液の扱いが現在ほどしっかりしていなかったことに起因する」とあるのだが、北村氏が生まれた1983年には血液製剤はすべて献血由来となっており、北村氏の母君が肝炎になったのは売血が理由ではない。献血者を集める方法で献血の安全性と品質が変化することを強調することで、献血の広告の重要性を主張したいのであろうが、問診や検査にも関わる問題であるし、広告には金銭やエイズ検査ほど献血者の属性を偏らせる効果は無い。「宇崎ちゃんの胸が絵の真ん中にあってやたらと強調されています」と言うのは、絵画やポスターで胸部が中央付近に位置する構図はよくあるし、そもそも胸が強調されているとも言えない気がするのだが…これは以前、議論した*4

5. 変化していく主張が行き着いた先

今回のエントリーに関しては、以上といった具合だが、この問題に関して北村紗衣氏が次々と主張を変えていることを指摘したい。北村氏は当初、パチンコ屋にセクシーな看護婦コスチュームの若い女性を配置して成人病検査を勧めさせたら不健康層の検査率が向上したと言う論文に、ジェンダー表現に関する倫理面から批判があることを参照していた。これは、献血の安全性と品質はもちろん、献血者の自発性とも関連の無い議論だ。今回のエントリーでは帰結に影響しないことを認めた上で批判しているわけだが、以前のツイートでは「献血は提供者が自分の健康についてしっかり考えて血液提供できる状況が理想であり、そういう倫理的な理念に基づいて広告を行うことがひいては献血と輸血の安全性につながると考えています」と、血液製剤の安全性と品質の確保と言う帰結を問題にしている。

論点すり替え論法の女王と言う感じになっているが、何はともあれ小さな主張に落ち着いてしまった*5。献血者の自発性が損なわれ、血液製剤の安全性と品質に問題が生じるのであれば倫理的に大きな問題ではあるのだが、そうでなければ倫理的な問題と言えるのかは微妙になる。少なくとも帰結を重視する倫理的立場、例えば功利主義からは問題があるとは言えない。むしろ献血に関心のない層に献血の理念を知らせる機会になるのであれば、功利主義的には善いことになる。

*1saebou先生の反倫理的な「すごく高い倫理」と献血における倫理/安全性:「宇崎ちゃん」献血ポスター③ - Togetter

*2献血ポスター問題について - Commentarius Saevus

*3ポスターだけで規範を逸脱しているか、議論するのも本来はよくない。日本赤十字社の献血の手順を見ると、献血の副作用や血液の利用目的などについて献血者の同意をとっており、問診、血圧測定、ヘモグロビン濃度測定で、献血者の健康にも配慮されている。

*4関連記事:「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?

*5過激でトンデモであると非難されると、もっと穏当なことを主張している、それが分からない人がおかしいと弁解をするモット・アンド・ベイリー論法と言う詭弁がある。

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