2016年10月17日月曜日

同化と他者化 ─ 戦後沖縄の本土就職者たち

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沖縄を語る上で、沖縄戦の伝承と米軍基地の縮小を求めて来た歴史を背景にした沖縄県民意識ではなく、琉球民族としての意識に依拠した議論をする人は現実が見えていないと思うのだが、国連の先住民会議に糸数慶子参院議員が出席したりもしており、日本人と異なる琉球民族の存在を主張する人々も一定数は存在する。世論調査などの集計された視点だけではなく、沖縄県民がどういう風に考えているのかは、多面的に考えていく必要があるであろう。そのために丁度良さそうな本が出ていたので、中身をチェックしてみた。

同化と他者化 ─ 戦後沖縄の本土就職者たち』は、統計とインタビューをもとに、本土就職した沖縄の人々の大半がその経験を楽しいものとしながらも、結局は沖縄に帰還したことから、戦後の本土復帰運動で「日本人」になろうとした『沖縄の人びとがアイデンティティにおいて「日本人」になることはなかった』(P.15)と主張している本である。文化的独自性などではなく、本土定着率の低さから沖縄と日本の違いを主張しているところが新しいが、かなり論が危うい事になっている。

  1. 出身地と移住先の違いや、移住先への同化への困難さが、定着率にどう影響するのかが自明ではないのだが、それに関する議論がない。戦前にハワイに行った沖縄人、そんなに戻ってきていないはずだ。関西と沖縄よりもずっと違いが大きかったはずのドイツのトルコ移民などをどう説明すれば良いであろうか。
  2. 都会暮らしは楽しいが、時期に田舎に帰りたくなったと感じるのは他の地方の出身者も同じではないであろうか。戦後は首都圏や関西と沖縄以外の地方では求職数に大きな差があったわけだが、著者の指摘によれば沖縄では雇用は堅調であった。帰郷したときの生計見通しが、定着率に影響したのかも知れない。
  3. 沖縄と移住先に違いがあったとして、それは沖縄と日本の違いを表すとは言えない。東京は嫌いだ、いつか故郷に帰ると言いつつ東京に出稼ぎにきていた青森県民を、「日本人」になることはなかったと発想する事は無い。

そもそも『アイデンティティにおいて「日本人」になる』と言うことが良く分からない。本土復帰運動が強い支持で展開されたことこそ、沖縄の人々が日本人と言うアイデンティティを持っていた証左であるような気がしなくも無いのだが、社会学者はそういう事は考慮しないようだ。

ある種の本土への憧れが本土就職の動機になったことや、その体験が愉しいものであったこと、一方で望郷の思いが強かったことを、インタビューから描き出しているのは興味深いのだが、それがどうして沖縄と日本の違いを意味するのかが良く説明されていなくて残念であった。少なくとも本土に定着した沖縄出身者にもインタビューをすべきだったし、他府県との比較すべきだったと思う。

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