2016年8月22日月曜日

会計がどう社会に受容され、どう歴史に影響して来たかが分かる「帳簿の世界史」

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一部の界隈で評判が良かったので、簿記技術や会計制度の発達史を期待して「帳簿の世界史」を読んでみた。帳簿とその監査で構成される会計がどう社会に受容され、どう世界史に影響して来たかが書かれていた本。経済危機に関心がある人には、興味がそそられる逸話が多く紹介されている。原題は「決算 - 財務説明責任と国家の興亡」と言った感じで内容にあっているのだが、これでは売れないと思ったのか、出版社もしくは訳者の意向でちょっとミスリーディングなタイトルになっていた。こういうわけで、会計制度の発達については少し言及されるが、ほとんど説明はされない。

1. 会計が国家の興亡を決める

財政規律が緩んで政府が傾くとき、会計がなおざりになっていると言うのは、誰でも知っていそうな教訓である。しかし、どうしてなおざりになりがちなのかを説明できる人は、そうはいないであろう。歴史小説では為政者が浪費家であるような記述が多いが、実は為政者は自身が浪費家であることにすら気づいていない事がある。財務官僚や経理担当者ならば色々と想像がつくと思うが、大規模で複雑になってくると経理や監査は技術やモラルの問題を抱えがちで、近代になるまでまともな政府会計を行うのは本当に困難であった。戦略シミュレーション・ゲームで、資金欄が<不明>と表示されている状態を想像して欲しい。上手くプレーするのは困難であろう。経理や監査を上手くやり、財務状況を把握することが、政府でも企業でも統治の優劣に直結する。

2. 社会に浸透していく会計知識

ハンムラビ法典に会計原則が定められていたぐらいなので、帳簿の歴史は古い。ただし複式簿記が導入され近代的になったのは、調べると異説はあるようだが、本書によるとルネッサンス期の14世紀イタリアになるそうだ。もちろん複式簿記が発明されていても、現代とはだいぶ様相が異なる。当時のイタリアでは複式簿記が広く普及していたわけではないし、課税回避のために二重帳簿は当たり前の世界で、帳簿の維持は個人の才覚に大きく依存した。財政的にメディチ家を大きく発展させたコジモは帳簿の維持に卓越していたが、その子孫はそうではなかったので政治的に華やかな活躍とは裏腹に財務を悪化させ、その権力を失う事になった。スペインのフェリペ二世は会計専門家を確保できず、国家運営に苦労した。ルイ14世も会計顧問のコルベールを失うと、財務をコントロールできなくなり、ブルボン朝の没落を招く決断をすることになった。17世紀のオランダ黄金時代から社会に文化として帳簿が浸透しだし、会計が分かる人材が豊富になったので、成功事例が多く見られるようになる。建国期のアメリカでは会計に通じた指導者が独立を成功に導いたし、ウェッジウッドのような産業革命期の英国企業は会計を発達させることで成長を実現させた。19世紀には簿記は社会に浸透しており、文学はもちろん、哲学や科学にも影響が見られるようになる。特に産業革命後、工場と言う生産方式や、鉄道と言う交通機関の導入などとともに、手法も発達していった。

3. 監査にある困難は、現代でも残っている

会計は徐々に為政者や経営者が自らの状況を理解するだけから、公衆に情報を公開する役割が強くなっていく。裏金工作で長期政権になった英国首相ウォルポールや、予算配分を公開することでフランス革命を誘発した財務長官ネッケルの事例をみると、帳簿の公開が望ましい結果をもたらすとは限らないようだが、民衆の国家への不信や投資家の企業への不信を拭い去るには、帳簿の公開と、その記載内容を保証する監査が必要になる。そうでないと南海泡沫事件のような事が起きる。軍事的理由で公開できない戦時下のオランダ東インド会社の場合は、政府が株主の代理で監査を行った。19世紀には鉄道会社が粉飾決算を繰り返したため、公認会計士制度の導入されるなど、法規制が強化されていく。しかし、粉飾決算の問題は解決したわけではない。21世紀になってもエンロン事件やリーマンショック、ギリシャ債務問題などが生じており、大規模な組織の会計は複雑化しており、監査はむしろ困難になっているようだ。経営者が部下や支店の統制に失敗するのか、外部株主が経営者の統制に失敗するのか差はあるが、監査に失敗して破綻するところは、15世紀のメディチ銀行と共通している。

4. 会計を文化の中に組み込め?

監査と言う面では結局、人類は問題を克服していないわけだが、どうしたら良いのであろうか。著者は、終章で歴史的な教訓を取り入れ、会計を文化の中に組み込めと言っている。専門家に会計を完全に委ねることなく、あらゆる人々が会計に関心を持つべきだと言うことのようだ。正直、ここは論理的な飛躍が大きすぎて、理解に苦しむ。「事業の内容が複雑過ぎ、規模が大きすぎて、銀行であれ企業であれ政府機関であれ、もはや監査不能」(P.329)なのに、「文化的に高い意識と意志」を大衆が持つ事で乗り越えられるのであろうか。大衆が一致団結すれば、監査を困難にするような商取引を規制することは可能であろうし、そういう事を示唆している気もするのだが、間接的にもそういう事は示唆されていなかった。歴史的な困難を解決する方法は、そうは分からないと言うことであろう。

5. まとめ

最後の処方箋の部分の唐突感はともかく、第13章までの歴史の話は興味深いし、日本語特別付録として編集部が「帳簿の日本史」を書いてつけていて、お買い得感もある。なお、ほとんど知識がなくても読むのに困難は無いが、複式簿記の概要はもちろん、商業簿記と工業簿記の違いなど、多少は簿記の知識がある方が面白いかも知れない。

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