2012年11月8日木曜日

憲法で読むアメリカ史

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憲法で読むアメリカ史』は、阿川尚之慶應義塾大学教授が雑誌「外交フォーラム」に連載していた米国史を米国憲法との関係の話を、加筆修正して綴った本。「福沢先生」と書いてある所に慶應大学にある束縛を強く感じるものの、米国社会が米国憲法や最高裁判所に与えた影響や、最高裁判所が米国社会に与えた影響がよく理解でき、現在の米国での政策論争の理解にも役立つ。日本の憲法改正論者にも読んで欲しい。

冒頭の2000年のブッシュ対ゴア事件は冗長に感じるが、その後の憲法制定の話ぐらいから面白くなってくる。初期の米国は独立した州が寄り集まった連合でしかなく、問題だらけの連合規約を差し替えた憲法も、不完全な代物だった。そこから権力の無い連邦が、各州に影響力を増していく描写が生き生きとされている。

特に奴隷制は大きなトピックだ。独立戦争の頃には奴隷制が社会悪だと認識されていたようだが、その是非は州に委ねられる事になった。経済的に奴隷制を北部は必要としなかったのに対し、南部はプランテーション労働者として必要としていたので、賛否を統一できなかったためだ。しかし逃亡奴隷の処置などで、南北の対立が高まっていく。

合衆国憲法が明確に連邦に強い権限を与えていないため、憲法が大きな影響を与えてる。例えば、自由州に長期滞在をした奴隷は解放されると言う州法を憲法違反だとしたドレッド・スコット事件での判決文は、南北の対立構造を悪化させ、南北戦争への道を拓く結果になった。また、修正第16条が発効するまでは、戦時以外は連邦所得税が取れないなど、経済政策も大きく制限されていた。

憲法による連邦機能の制限は、現実の問題を対処できないため、改正されていく。奴隷制度は南北戦争後の修正第14条で廃止され、連邦所得税は修正第16条で可能になった。修正第14条は、なお手続き的/実体的デュープロセス条項のどちらで見るかで意見が分かれ、最高裁判所の憲法判断がその後の黒人差別に影響を与え続けることになったのだが、世相に応じて憲法は随時改正されていっているのは変わらない。

この米国史から、日本国憲法改正問題に関して三つ言えることがあるように思える。まず、憲法は社会実情にあわせて変更されるものだと言う事だ。次に、両議院の三分の二の賛成と言う厳しい条件があっても、憲法改正が行われてきたと言う事だ。最後に、膨大な廃案があり、憲法改正案が否決されることに問題は無い。

自民党総裁の安倍晋三氏は改憲が必要な理由として、憲法草案を作ったのが進駐軍である事をあげ、さらに改憲の容易化を主張している*1。米国史を見る限りは、憲法は行政や司法を厳しく制限するものであり、それらに支障が無い限りは、誰が書いたかは問題では無い。そして、行政や司法を過度に制約されるときは、厳しい改正条件でも変更されている。安倍氏の憲法改正論は、岸伸介の進駐軍への怨恨を晴らすためだと非難したくなる。

憲法改正論者は、時代が要求する行政や司法が、日本国憲法の下で実現できない事を、まず説明する必要があると思う。その説明に説得力があれば、米国での経験を基にすれば、憲法改正への道筋もつくことになるはずだ。大きな声で言いたく無い事もあるのかも知れないが、民主制度のもとでは、そういう憲法改正案は認めるわけにはいかない。

*12012年10月7日放送のTV番組「たかじんのそこまで言って委員会」では、安倍氏は以下のように理由を述べている。

  1. 今の憲法は当時のGHQ進駐軍の手によって作られた憲法である
  2. 憲法が出来て60年以上・・・時代にそぐわないものがある
  3. 自分たちの憲法を自分たちの手で書いていく。それによって真の独立を勝ち取ることができる

(1)と(3)が同じことを言っているのが気になるが、条文の内容よりも、誰がどういう経緯で書いたかを問題にしているようだ。

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