2012年4月1日日曜日

アローの不可能性定理と民主主義の限界

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ある経済評論家が「代表性の神話」と言うエントリーで、アローの不可能性定理を持ち出して、民主主義の不可能性を断定している。

アローの不可能性定理はゲーデルの不完全性定理やハイゼンベルクの不確定性原理ほどは有名では無いが、社会科学者の間ではある種の畏怖を持って知られている。何か厄介な事を示している上に、社会的選択論かその関連領域を研究していないと縁が無いからだ。

もっとも、それが示す厄介さが、すぐに民主制度の不可能性を示すものではない。アローの不可能性定理で補足的な説明無しに議会制民主制度の問題点を主張する人は、ちょっと頭のおかしい人だ。

1. アローの不可能性定理には四条件がある

アローの不可能性定理を知らない人のために簡単に説明を行うと、選択肢が三つ以上あるときに、意思決定方法(e.g. 多数決)に困難がある事を論理的に示した定理だ。

適切な意思決定方法には、以下のような四条件が必要だとアローは考えた(以下は奥野・鈴村(1988)の用語に準拠しているが、説明はほぼ勝手に行った)。

(1) パレート原理
選択肢aとbがあるとして、全員がa≽bならば、社会的にもa≽bとなる。
(2) 広範性
どのような社会的選好順序も、完備性・推移性を満たす。例えば、a≽b、b≽cが与えられれば、a≽cとなる推移性を満たす必要がある。
(3) 情報的効率性(IIA
二つの選択肢の比較だけで、社会的意思決定が可能になる。
(4) 非独裁制
ある個人の選択が、必ず社会的選択にならない。

しかし、この四条件を満たす意思決定方法が無い事をアローが証明してしまったので、アローの意味で適切な意思決定制度は存在しえない事が分かっている。ただし、この四条件が絶対必要なのかは、色々と議論がある。

2. 単純多数決ルールにある推移性の崩壊可能性

不可能性の具体例をあげてみよう。[増税 歳出削減 インフレ]という選択肢があるとする。A氏は(増税≽歳出削減≽インフレ)、B氏は(歳出削減≽インフレ≽増税)と言う選好を持つ。

単純多数決ルールに従うと、増税 vs 歳出削減は優劣がつかず(A増税・B歳出削減)、増税 vs インフレも優劣がつかない(A増税・Bインフレ)が、歳出削減 vs インフレは優劣がつく(A歳出削減・B歳出削減)ことになる。増税=歳出削減、増税=インフレで、歳出削減≽インフレは、推移性を満たさない奇妙な状態になる。つまり条件(2)が否定される。

3. ボルダ・ルールとIIA

変な事が起きる理由は、選択肢に“重さ”や“必死度”が無いからだ。試しに個別の選択肢の優劣ではなくて、個別の選択肢に配点を与えてみよう。

A氏は増税に3点、歳出削減に2点、インフレに1点を与える。B氏は歳出削減に3点、インフレに2点、増税に1点を与える。すると社会的選択は、歳出削減(5点)≽増税(4点)≽インフレ(3点)になる。推移性に矛盾は起きない。

配点や配点の合計ルールは色々あるのだが、ある選択肢aとbの比較に、直接関係の無い選択肢c d e f…の情報が必要になるために情報的効率性(IIA)を満たさなくなる。ボルダ・ルールはアローの条件は満たさない。しかし、ある種の一貫性を約束するシステムはあるわけだ。

アローの不可能性定理は「人々の異なる選好を一貫して代表させる民主的な投票手続きはありえない」と言っているわけではなく、それとIIAが両立しないと言っている。条件(3)のIIAを捨てれば、ボルダ・ルールで一貫性を取り戻せる

4. ギバードの一般可能性定理

問題のエントリーではGibbard-Satterthwaite theoremに唐突に触れているのだが、これは個人が利得を最大化するために、選好に基づいた投票ではなく、戦略的に投票行動を行い出すと言う定理だ。この定理が成立するには、戦略投票者の選好が他人に知られておらず、戦略投票者が他人の投票行動を予測する事が可能でないといけない。また正直に投票する方が得になるようなシステムがあれば、顕示選好原理によって戦略投票は排除される。この定理も現実に適用するためには、現実に適用できることを論じる必要がある。

5. アローの不可能性定理自体と現実の民主制度

アローの四条件を満たす投票制度は存在しないが、よくよく考えればそれは致命的だとは言えない。ゆえにアローの不可能性定理自体は、現実の民主制度の不可能性を説明しない

実際の民主的な投票手続きでは、ルール的には単純多数決でも、議決に至る前に交渉をしているので、ボルダ・ルールに近い何かが成立していると考えて良いであろう。また、最高裁判所が憲法解釈で個別の法律に判断を下すので、推移性を満たさないルールは恐らく排除される。尊属殺人は憲法判断が下されてなくなった。ギバードの一般可能性定理も同様に、実際の制度で成立しうる定理なのかは疑問が残るであろう。

6. 市場外の事に関しては、政治以外の決定手段は無い

最後に元エントリーの致命的な問題点を指摘したい。ネオリベラリズムの人々が信奉する競争均衡は初期財配分に応じてある社会状態が達成されるだけで、初期財配分は自動的には決めてくれない。「政治の領域を減らして大事な問題はなるべく政治によって決めない」とか言われても、代わりにどうやって決めればいいのか問題が残る。

補足:まともに理解したい人へ

頭の良い人々がやっている理論的な分野で、本当はエントリーを書く気は無かったのだけれども4月1日なので書いてみた。

まともな知識が得たい人は以下の動画や、ミクロ経済学のテキストを参考にされたい。

難しい分野ですよねヽ(´д`)ノ

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