ジェンダー学者たちが書いたある論文*1に、インタビューイの数が5名で少数であること自体を馬鹿にするような非難が集まっていた*2。しかしこの論文は、非構造化もしくは半構造化インタビューという質的調査の手法を用いているので、サンプルサイズ自体を非難するのは失当だ。大学の(おそらくジェンダー論の)講義参加者から調査対象を選んでいるのでサンプリングバイアスがあると言う批判もあったが、これも強い批判になりえない。
質的調査には他に、参与観察、会話分析といった手法があるのだが、どれも個別具体的な詳細を記述することを目的としている。実例のある物語を記述する作業だ。ある集団全体でそのような事が言えるのかという普遍性は重視しない。つまり、母集団の特徴を明らかにしようとしていない。臨床での症例報告に近い。質的調査は仮説検証というよりは、現実世界の詳細な記述から仮説生成することが主眼となる。
観察された事象の普遍性は、定量的調査で担保される。ゆえに定量的研究と同様の基準で、調査対象を増やしたり、調査対象をサンプリングしたりしない。当事者で話が聞ける人に聞いたり(convenience sampling)、知人に研究したい事象に関わっている人を紹介してもらったりする(snowball sampling)。ここ20年ぐらいはもっと戦略的に調査対象を選定することが推奨されているが、情報量が豊富な典型的な事例(intensity sampling)や、極端な事例に関わった人物を選ぶ(extreme/deviant sampling)ようなことが提案されている。包括的サンプリング(comprehensive sampling) も条件を絞り込んで網羅的に調査する方法である。量的調査の観点も入っている最大多様性サンプリング(maximum variation sampling) も、直交表を満たすように調査対象の性質に多様性を入れるもので、母集団の分布は考慮しない。
このように書くとバイアスが大きすぎて役に立たないように思えるが、質的調査は役に立つ。定量的研究を行う前には、どういう変数を収集・分析すべきかという情報が必要であるし、変数間の関係の仮説がある方が望ましい。制度的な話を見落としてモデルや結果解釈が不適切になっている計量分析もあるのだが、先に質的研究があれば(もしくは参照していたら)多くは防げた。そもそも世の中、言うほど多様性がない場合もあるし、また定量的研究がないことも多い。
どちらかと言うと質的調査の問題は、質的調査を行っている研究者が分析結果の普遍性を過度に主張してしまうこと、分析結果の解釈が牽強付会になりがちなことだ。話題の論文では、
- 「協力者たちが経験してきた体育では」と主張に留保はあるものの、「現行の学習指導要領・・・の理念が現実と大きく隔たっている」と主張しており、分析結果が普遍的なものだと見做してしまっている
- 「(体育で)ヘゲモニックな男性性が構築され,運動が苦手な生徒たちが従属的な男性性へと位置づけられていく」とあるが、体育を受ける前と受ける後で、価値観や対人関係が変わったかのような記述は無かった
ので、やはり両方の点で解釈に問題を抱えている。なお、論文に書かれているインタビューイの話をまとめると、
- 運動能力が低い子は教師や同級生に、運動能力で低い評価をされる
- 運動能力が高い子はポジティブに目立つ
- 授業の後にボーイズトークがある
- 身体の引け目を感じる部分が晒されるのが嫌
- 体育をネガティブに言うのは教師が許さない
と言う感じであり、調査対象が体育嫌いになった状況の説明として特段の意外性はなかった。しかし、男性性間のヘゲモニー闘争云々と言う以外の説明も幾らでもつきそうである。
*1三上・井谷・関・井谷 (2022)「体育におけるヘゲモニックな男性性の構築 —「体育嫌い」の男性の声から」スポーツとジェンダー研究,20巻
*2量的調査でも観測値の分散や説明変数の数が定まらないと、サンプルサイズが不十分かは分からない。
0 件のコメント:
コメントを投稿