2025年4月24日木曜日

奴隷制には大昔から強い批判がありまして

反リベラル界隈から「奴隷制はある時代まで当然視されていたが、しかし現代では悪だとされている。」と言う主張が流れてきたのだが、問題があるので指摘したい。古来から奴隷制度は存在しているが、道徳的な正当性については古くから疑念の目で見られていた。

奴隷制度に対する明確な批判は、1世紀には、初期のキリスト教指導者たちから発せられていた。神の下に平等であれば自由民と奴隷という区別はおかしいわけで、理屈は明快で強固だ。長い間、奴隷制廃止ではなく奴隷解放を目指したり、異端や異教徒は例外にしていたりと御都合主義な面もあったが*1、キリスト教の指導者たちは、原則として奴隷制に批判的で、その声を徐々に強めてきた。1680年頃からはじまったアメリカの奴隷制度にも、カトリックと北部のプロテスタントは反対していた。

キリスト教誕生以前はどうであったか。明確な反対は記録に残っていないようだが、アリストテレスが『政治学』で奴隷制の正当化を試みたことは、古代ギリシャでも奴隷制に疑義を持つ人々がいたことを示唆している。奴隷制度への直接の批判ではないが、旧約聖書、新約聖書、コーランに、奴隷(年季奉公人)の権利もしくは奴隷への配慮を求める記述がある。古代ローマのストア派哲学者も、奴隷への人道的配慮を主張した。奴隷制がもたらしうる人権侵害が悪だと認識されていたことが分かる。また、奴隷解放は善行と考えられていたようだ。

その内実に違いはあるとは言え、社会の成員を平等に扱うことは、古今東西広く見られる社会規範だ。支配者階級を認めるにしろ、奴隷を創り出し続けることは困難である。奴隷の主な供給源は戦乱であり、刑罰や債務返済によって自由民が奴隷になる数は限られていた。奴隷の子も奴隷になるわけだが、十分な供給源とはならなかった。ローマ帝国は戦争奴隷の枯渇により、労働力を奴隷から自由民の小作人に移行させた*2。奴隷を増殖して増やしたり、自由民を奴隷にしたりはしなかった。

進化心理学的には道徳感情は人間本性に備わった共感などに基づいていると説明される。奴隷を人間的に扱うことを主張したセネカも、人々の共感に訴えかけることでそれを正当化した。神学や法学や人文科学の進歩によって倫理を体系的に考えるようになって、宗教や人種の違いを超えて道徳的地位を認められるようになったわけだが、基本となる発想は古来から見られるものだ。アメリカの黒人奴隷制度は歴史の揺り戻しであったが、奴隷制が当然と看做されていたと言うよりも、人種が異なるので白人が黒人を人格と認められなかった*3。奴隷制が正義に反さないと看做されるようになったわけではない。

*1ローマ帝国の奴隷制度に明確に反対していたわけでもないし、中世に入っても異端や異教徒を奴隷にすることは容認していたりするのだが、1537年の勅令『スブリミス・デウス』で異教徒であっても将来キリスト者になる可能性がある人々の奴隷化を禁じた。

*2小作人は転居や職業選択の自由の無い農奴に変化したが、その他の権利は保持された。また、近世に入ると例外的な存在になっていった。

*3現代のアメリカでも、白人が負担し黒人が利益を得ることになるので、格差是正政策への反対が根強いと言われる。

0 件のコメント:

コメントを投稿