tag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post7119362155708257444..comments2024-03-20T17:01:16.875+09:00Comments on ニュースの社会科学的な裏側: あるマルクス経済学者のプロパガンダ(9)uncorrelatedhttp://www.blogger.com/profile/07259795262696796179noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post-76208432334633073992014-07-31T22:31:47.164+09:002014-07-31T22:31:47.164+09:00>>松尾匡 さん
出版決定おめでとうございます。さて、コメントの内容に関して、幾つか指...>>松尾匡 さん<br /><br />出版決定おめでとうございます。さて、コメントの内容に関して、幾つか指摘させてください。<br /><br /><br />「うまくいく」と言う所ですが、経済学の文脈では大きな困難を抱えている所に思えます。<br /><br />パターナリスティックな規範概念を認めると、個人の自由と、パレート原理を満たす社会的選択の方法は存在しないと言うリベラル・パラドックスに突き当たります。また、効率性と衡平性を両立させるのも、かなり困難なようです。<br /><br />他人の状態を一切考慮しない個人主義的な倫理を採用できれば一気に解決できそうですが、それは経済学の範囲を超えているかも知れません。<br /><br /><br />> 例えば、雇用流動化とか成果主義に賛成して自己責任論を唱えておきながら、「集団のメンバーとしての責任」の方の責任概念に重心をおいた社会規範を維持することは、整合的でないということです。<br /><br />どう整合的でないのかを、もっと明確に議論する必要があると思います。整合的でないことを示すには、松尾流の社会厚生関数を置く必要があるのでは無いでしょうか?<br /><br />全般として、公平性を重視しているように感じられます。つまり、集団メンバーとして貢献/我慢した人は、集団から利益を得られるべきと言う前提が暗に置かれているのではないかと。<br /><br />こういう考え方がおかしいと言うわけではないですが、集団メンバーとしての責任は相互扶助を前提として求められるべきと言う観点から、整合的を論じていることには注意する必要がありますね。<br /><br />なお、米国の保守派のように集団メンバーとしての責任が宗教的に定まっていると考える人々であれば、自己責任論を唱えつつ他人の生き方を強く規定しても、何も不整合に感じていないと思います。uncorrelatedhttps://www.blogger.com/profile/07259795262696796179noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post-35203604232960329892014-07-31T13:01:19.333+09:002014-07-31T13:01:19.333+09:00毎度どうも。
1.ですが、製品価格を引き下げてライバル会社に打撃を与えることがこの意味での責任を問...毎度どうも。<br /><br />1.ですが、製品価格を引き下げてライバル会社に打撃を与えることがこの意味での責任を問われるわけではもちろんないので、たしかにこの表現だけでは不十分ですね。むしろ、田舎町とか昔の系列とか、同じ集団内部のコンフリクトだったならば、「集団のメンバーとしての責任」が問われる事態にあたると思います。<br />読者に誤解はないと思いますが、書籍化までには誤解のないような表現を考えておきましょう。<br /><br />民事賠償責任についてのご指摘はよく理解できないのですが、2.の倫理の話は今後詰めていく予定です。<br /><br />3.の話は、「いいこと」はもう少し正確には、「侵害が許されないこと」ぐらいの意味になると思います。サーファーの例は、後の回で「自殺の自由」をめぐる問題を検討する予定なので、そのときに検討される問題にあたるのだろうと思います。<br /><br />4.5.ですが、人の行動に対してどういう評価を割り当てるのが適切かという社会規範をめぐるテーマは、経済学も含む一つの大きな分野で、例えば神取道宏先生も、広く共有されている非常に単純な基本モデルでの、ひとつの社会規範タイプに「カンドリ型」と名前を残したりしています。<br /><br />社会規範は、「制度」の一種で、他のいろいろな社会システムと整合的しあって、セットになってうまくいくものです。<br />「うまくいく」というのも詰めれば問題含みの言い方ですが、まあ、おおざっぱにはパレート効率性レベルぐらいで議論できることです。<br /><br />支配的な社会システムと整合的な社会規範と反する倫理観を抱くことは全く自由なのですが、その場合には、自分の倫理観に整合的な社会システムを主張するべきで、その、整合するかどうかということは、学理的議論の対象になるのだと思います。<br />拙論でしていることもそうであって、私自身は集団主義的なシステムが崩れていることを肯定して、それと整合的な社会規範になることを提唱する身ではありますが、それと反対の社会規範を望ましいとして、集団主義的システムを再建しようとする立場はあってもいいと思います。<br />しかし、例えば、雇用流動化とか成果主義に賛成して自己責任論を唱えておきながら、「集団のメンバーとしての責任」の方の責任概念に重心をおいた社会規範を維持することは、整合的でないということです。松尾匡https://www.blogger.com/profile/12529924768617676022noreply@blogger.com