tag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post5645074318899855573..comments2024-03-20T17:01:16.875+09:00Comments on ニュースの社会科学的な裏側: あるマルクス経済学者の動学最適化に関する議論をラムゼー・モデルと比較してみるuncorrelatedhttp://www.blogger.com/profile/07259795262696796179noreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post-91767790901965131772013-11-09T18:10:20.260+09:002013-11-09T18:10:20.260+09:00>>松尾匡 さん
> 市場調整の安定性が恒常成長への収束性を何らかの意味で条件づけ...>>松尾匡 さん<br />> 市場調整の安定性が恒常成長への収束性を何らかの意味で条件づけているのだから別問題ではないというご指摘だったとしたら、全くその通りで、もともとそれを言いたかったのです。<br /><br />私の主張はそういうことで、御理解頂けて幸いです。<br />MS-WORDのドキュメントの方、例えばⅤ節の冒頭を見ると、そう読むのが難しいので本エントリーで指摘しました。<br /><br />> 市場調整がうまくいかない場合の原因論については、まだ互いに納得してないと思いますが。 <br /><br />市場調整がうまくいかないケースについては、“うまくいかない”が不均衡を意味していると、現代的なマクロ経済学から技術的な意味で乖離が激しくなりますね。<br /><br />均衡状態で生じる問題に関しては様々な種類の研究があり、特定の原因を主張するのは無理があるかも知れません。<br /><br />なお松尾さんが例示されているⅢ節の議論については、独占企業が投資量を決定しているようなのですが、物価pや利子率iを決定する式もなく、あの説明だけだと理解するのは難しそうです。uncorrelatedhttps://www.blogger.com/profile/07259795262696796179noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post-90523431948410355112013-11-09T08:34:24.404+09:002013-11-09T08:34:24.404+09:00いや、もともとの始まりが、ご議論が、新古典派成長論の定常解への収束性をもって市場均衡の安定性の証明で...いや、もともとの始まりが、ご議論が、新古典派成長論の定常解への収束性をもって市場均衡の安定性の証明であるように読めたので、「それは証明とはならず、各時点での市場調整の安定性を検討しなければならない、各時点の市場調整が安定でなければ、定常解に向かう運動がいくら収束しても画餅である」ということを言いたいために、「恒常成長への収束性と市場調整の安定性が別問題」と表現したのです。<br />市場調整の安定性が恒常成長への収束性を何らかの意味で条件づけているのだから別問題ではないというご指摘だったとしたら、全くその通りで、もともとそれを言いたかったのです。<br />市場調整がうまくいかない場合の原因論については、まだ互いに納得してないと思いますが。松尾匡https://www.blogger.com/profile/12529924768617676022noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post-31844897800376674982013-11-08T22:14:40.590+09:002013-11-08T22:14:40.590+09:00>>松尾匡 さん
コメントありがとうございます。
> ご提示されている生産関数は...>>松尾匡 さん<br />コメントありがとうございます。<br /><br />> ご提示されている生産関数は、Y=(K^2)/nということですので<br /><br />資本をK、労働者をn人として、一人あたり生産が(K/n)^2で、全体がY=n*(K/n)^2になりますね。<br />Kとnをx倍すると、Yがx倍になる一次同次関数になっています。<br /><br />> 労働に関してもともと減少関数になっているように思います。<br /><br />資本の限界生産性が逓減すると言う仮定が排除されないと、こういう生産関数もありえることになります。<br /><br />> 生産関数が疑凹関数ならば、<br /><br />一次同次の生産関数が疑凹性を満たすとなると、一人あたりの生産関数fが、f'>0、f''<0を満たしますね。この条件が労働市場の均衡の存在に重要だと言う事です<br /><br />> 拙稿で出したコブ・ダグラス様の例は収穫逓増でも疑凹になっている例です。<br /><br />一次同次の仮定の維持が松尾さんと私の例の相違になりますが、資本の限界生産性が逓減する仮定を入れておかないと、私が例示したような状況を排除できません。<br /><br />何はともあれ、生産関数の形状が均衡の存在に影響を与えることは確かだと思います。<br /><br /><br /><br />> 独立な投資関数があるためには、財や労働に加えて、何かの金融資産の存在を想定することが不可欠です。<br /><br />ラムゼー・モデルでは利子を生み出す資本ストックがあるので、これが金融資産になるはずです。<br /><br />> ステーブル・アームを外れて、オイラー方程式どおりに発散的に運動する経路は・・・最適行動として採用しないように思いますがどうでしょうか。<br /><br />所与の初期の消費量を前提に、家計が効用最大化問題を解いた結果になるので、最適行動にはなっています。ソーシャル・プランナーから見れば、最適では無いわけですが。<br /><br />> 私が拙稿でソローモデルを使ったのは圧倒的に簡単だからで、<br /><br />ソローモデルが簡単なのは分かりますが、貯蓄率を内生化していない時点で、資本市場もその均衡も無い事になりますし、家計の動学的な最適化行動も無い事になります。合理的期待も完全予見も無いわけです。<br /><br />> 定常解に向かって運動が収束したとしても、そのことをもって市場調整が安定的であると示されたわけではない<br /><br />ラムゼー・モデルが市場調整が安定的な均衡状態にないと、定常に達さないことを示しているのは確かだと思います。そもそも定常状態は一つの均衡になっているわけです。<br /><br />> 各時点内の上記垂直点線上の市場調整が成り立っていなければ、定常解に向かう安定運動は画餅<br /><br />ラムゼー・モデルに置いてですが、不均衡が定常解をもたらさないと言う意味なら、その通りになりますね。しかし、その場合は「恒常成長への収束性と市場調整の安定性が別問題」とは言えないはずです。uncorrelatedhttps://www.blogger.com/profile/07259795262696796179noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2146761093276690524.post-23350256944985995582013-11-08T18:50:05.090+09:002013-11-08T18:50:05.090+09:00拙稿、詳しくご検討いただき、ありがとうございます。
順不同ですみません。
まず、収穫逓増生産関数の...拙稿、詳しくご検討いただき、ありがとうございます。<br /><br />順不同ですみません。<br />まず、収穫逓増生産関数の件ですが、ご提示されている生産関数は、Y=(K^2)/nということですので、労働に関してもともと減少関数になっているように思います。<br /><br />生産関数が疑凹関数ならば、費用最小化問題に二階の条件を満たす最適な内点解があります。拙稿で出したコブ・ダグラス様の例は収穫逓増でも疑凹になっている例です。<br /><br />それから、ラムゼーモデルを分権化したような新古典派の動学的一般均衡のマクロモデルに、投資関数があるとおっしゃっているその「投資関数」は、投資関数ではなくて、貯蓄関数のように思います。<br />通時的な最適消費問題を解いて消費決定したら、残りの貯蓄がすべて実物の投資になる想定が通例だと思います。<br />これを指して、私は投資関数がないと申しています。<br /><br />この場合、必ずS=I、つまりSに従ってIが決まるので、セイ法則が成り立っていると言えると思います。効用関数の形状の問題は(最適な消費、したがって貯蓄が決定できるかどうかという問題にかかわっているかもしれないが、それはおいておいて)、この問題そのものには関係がないことと思います。<br /><br />独立な投資関数があるならば、IにSがしたがわさせられて、セイ法則が破れる可能性がでてきます。<br /><br />ご指摘の、一財モデルで財の絶対価格が規定できるかどうかということは、裏に貨幣市場を想定しているかどうかによります。財と貨幣との交換割合が絶対価格だからです。<br />通常の新古典派モデルは、貨幣の存在を想定していないために、相対価格だけがある想定になっています。<br /><br />独立な投資関数があるためには、財や労働に加えて、何かの金融資産の存在を想定することが不可欠です。さらに投資が市場不均衡をもたらす性質を持つためには、資産の中でも、貨幣の存在を想定することが不可欠になります。<br />このとき、ワルラス法則から、財や労働の供給超過の裏に貨幣の需要超過が起こる可能性が出てくるわけです。<br />拙稿の、財と労働に供給超過が残るモデルも、裏に貨幣の存在が想定されていると解釈すべきものです。<br /><br />だから、市場の機能不全が起こる最も重要な本質は、独占でも価格硬直でもなくて、貨幣への選好なのだというのが、現代のケインズ派の到達点になっているのだと理解しています。<br /><br />さて、ラムゼーモデルですが、ご解説の、ステーブルアームをはずれたときの運動ですが、私自身横断条件という概念が完全に胸に落ちているわけではないので、こんなことを言うのはちょっと恐縮な気がするのですが、でも自分でも使っていますので…。<br />ステーブル・アームを外れて、オイラー方程式どおりに発散的に運動する経路は、横断条件を満たしていないので、これは、諸価格の流列がこの発散運動と整合的だったとしても、このモデルの中の人々がもともと最適行動として採用しないように思いますがどうでしょうか。私も自信があるわけではないのですが。<br /><br />私が拙稿でソローモデルを使ったのは圧倒的に簡単だからで、分権ラムゼーモデルでもよかったのですけど、合理的期待や完全予見のもとで主体が最適化するときの本質は、拙稿では一番わかりやすいと思われる「合理的バブル」の例で説明しております。<br />そこでもうしたことの本質は、今回ご解説いただいている要点と同じことだと思います。<br /><br />すなわち、わかりやすいように離散時間的表現をお許しいただければ、このモデルの中の人は、t+1時点、t+2時点と、無限の将来まで、おかきいただいたステーブルアーム上で成り立つ均衡価格を予想しています。<br />その予想のもとに、t期の需要や供給を解いて市場に出てくるのですが、それは、t期内での、おかいいただいている垂直の点線の上の「ジャンプ」と表現なさっている調整となり、独立投資がない等の想定のもとでは、ステーブル・アームに向かって安定的に動くでしょう。<br /><br />いったい自分の言っていることをどのように受け取られているのか、把握できないところがありますが、上記ご解説もそれと違ったことをおっしゃっているようには思えません。<br />こちらが当初から言っていることのひとつは、t時点、t+1時点、t+2時点…と定常解に向かって運動が収束したとしても、そのことをもって市場調整が安定的であると示されたわけではない、各時点内の上記垂直点線上の市場調整が成り立っていなければ、定常解に向かう安定運動は画餅であって、新古典派はそれが成り立つことを前提しているのだということですが、ご主張はそれと同じことを繰り返えされているように見えます。松尾匡https://www.blogger.com/profile/12529924768617676022noreply@blogger.com