2022年8月9日火曜日

トランスジェンダーを巡る千田有紀×清水晶子×小宮友根論争は本題から逸れている

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日本のジェンダー論界隈で、武蔵大学の千田有紀氏のトランスジェンダー政策に関する主張を、東京大学の清水晶子氏と東北学院大学の小宮友根氏をトランス排除的な差別主義だと批判し、千田氏が批判がキャンセルカルチャーになると非難している。傍から見ている限り、本題から逸れている上に、ダメな議論を展開しているので指摘したい。

1. 千田有紀氏のトランスジェンダー政策

千田氏はその論考*1で、シス女性がトランス女性に対して恐怖を感じると指摘した上で、トランス女性がシス女性と同様に女子トイレの利用をすることに反対しているが、トランス女性がシス女性に危害を加えるとは主張していない。

千田氏の議論は、清水晶子氏からトランスフォビック、小宮友根氏からトランス差別的だと批判されている。私の見解としては、異性装などに反対はしていないし、心の病気だから矯正しろとも言っていないので、千田氏をトランスフォビアと認定するのは無理だが、千田氏の主張がトランス排他的/差別的なのは、シス女性と同様に扱うなと主張しているので明確だ。

なお、トランス排他的な政策が誤りとは言えない。代表的な倫理の一つである功利主義であれば、千田氏の議論が恐らくそうであるように、シス女性とトランス女性のそれぞれの利益と不利益を考慮するので、よく調べないと結論が確定しない。個室になっている女子トイレにトランス女性(とそのフリをした男性)が入ってきても大きな害は無さそうだが、銭湯ではシス女性の苦痛は大きい気がするが、シス女性の意見は聞くべきであろう。

2. 清水・小宮・千田の主張のダメなところ

清水晶子氏は、プレゼン「学問の自由とキャンセル・カルチャー」で「自由の乱用をサバイブするために」とSara Ahmedのトランス排他的な政策を主張することを封じようとする姿勢を紹介していたが、言論の自由から容認できない*2。トランス女性の皆さんは不愉快に思えるかも知れないが、トランス排除的/トランスフォビックな主張自体が誰かを殺すことはないし、受忍して頂こう。なお、これが千田批判のつもりかは定かではないのだが、このプレゼンが関係ないとすると、トランスフォビック的と言い放って終わりにしたことになるので、もっとよろしくない。

小宮友根氏は、千田有紀氏が教科書的な議論を抑えていないとか、トランスフォビアのネットワークから情報を得ているかのような批判をしている。しかし、仮にそれらが事実だとしても、千田有紀氏の論考の中の文の誤りを指摘したり、他の観点を紹介すればいいので議論の方法として適切に思えない。千田氏の政策的主張に対する批判もしっかり加えていれば、相対的にマイナーではあるが。

千田有紀氏は、清水氏と小宮氏にキャンセルされたと訴えているのだが*3、キャンセル・カルチャーのキャンセルは職位や専門家コミュニティからの村八分を意味する用語で、確認できる限りは清水氏と小宮氏は千田氏を批判しているだけだから当てはまらない。トランス差別、トランスフォビアと評するのも批判の範疇。学会の役職から追われたとか、退職を求めるオープンレターが出たとかあればキャンセル・カルチャーの被害者と言えるが。テニュアの大学教授なんだから、もっとどっしり構えて欲しい。

3. 議論しなければいけないことを議論しよう

この論争、もとは便所や浴場の利用でトランス女性をシス女性と同様に扱うべきか否かと言うだけの話だ。統計でも逸話アネクドートでも前提となる事実を示しつつ、功利主義でも徳倫理でも義務倫理でも、何らかの規範に照らしあわせて政策の是非を判断をすれば終わる。議論しなければいけない範囲は狭いはずなのだが、ジェンダー学者3名は、議論を結論に導かない議論に執着しているように思える。

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