2019年4月12日金曜日

傍観者に徹すれば、トロッコ問題で道徳的非難を回避することができると言えるか?

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高校の授業でフットさんのトロッコ問題を取り上げたところ、積極的にポインターを切り替えて少数を犠牲にして多くの人間を助けるよりも、傍観者に徹することで多くの人間を死ぬのを見届ける方が、社会的責任を問われずに済むのでそれを選択すると生徒が主張しだしたと、出題した教師が関心していた。いやいやいや…生徒の論点がおかしいとは思わないが、それに説得されてしまったら教育にならない。やはり中高で道徳の時間、ちょっと無理がある。

問題の連投ツイートの最初は以下だ。

御題は広く知られた思考実験で、奇妙なエッセイや伝統的規範のふりをした偽史*1よりはずっとマシだし、その生徒の視点がとくに悪いと言うわけではない。しかし、それが本当に偏見かはさておき、Omission biasと呼ばれている頻出の回答であって、倫理学者は既に生徒の考え方に対して批判を加えている。Stanford Encyclopedia of Philosophyに、Doing vs. Allowing Harmと言うページができているぐらいだ。功利主義者のピーター・シンガーも、一般向けの書籍*2で、見殺しにする不作為も殺す作為も失われる命は同じなのだから、両者に道徳的な差異はないことを強調していたりするので、教育の場では本当に頻出だと思われる。なお、トロッコ問題などの倫理学の思考実験は法があるべき姿を考えるものではあるので、現在ある刑罰や賠償など法的責任を理由に判断すると循環論法になってしまう。

どういう経緯でトロッコ問題を取り上げたのかが分からないのだが、この手の思考実験は自由奔放な回答に対して哲学者が既に加えてきた批判を一つ一つ紹介しないと学びにならないので、真面目にやるのであればそれなりの準備を出題者に要請する。教員用にチートペーパーを配ると言う手もあるのだが、道徳を専門とする教員がいるわけでもなく、読むのも面倒であろう。倫理学者は別に道徳的ではないと言う話もあるし*3、頑張っても社会的に良い効果があるとも限らない。中高で倫理学、取り上げない方がよいのでは無いであろうか。

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