2018年5月21日月曜日

青地イザンベール真美が弄している詭弁について

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都議会選に民進党の候補として出馬して惨敗した青地真美氏が、氏の主張に反対してくる表現規制反対派に「パブリックエネミー」だと分かるレッテルを貼ろうと言い出し批判をされている*1。そこではオタクに対する差別と偏見があると批判しているのだが、そういう議論の前に誤謬があるのを見過ごしているので指摘したい。否定的な感情を呼び起こす単語の記述的意味を再定義して嫌いな集団が当てはまるようにするのは、説得的定義*2と言う詭弁である。

1. 表現規制反対派をオタクとする説得的定義

青地氏は説得的定義による詭弁に成功している。表現規制反対派にパブリックエネミーだと分かるレッテルは貼り付け損なっているが、オタクと言うレッテルを貼り付けることに成功しているからだ。表現規制反対派は、別にオタクとは限らない。社会的受容が進んだとは言え、オタクは特異な集団と言う意味でまだ否定的な感情を(少なくとも一部の人々に)呼び起こす単語である。青地氏への批判文を上げた青識亜論氏は、この事を看過してしまった。

2. オタクの多義的定義による語義曖昧論法

さらに、オタクの独自定義を(a)二次元児童ポルノの愛好者、(b)オタクを自称する人々、(c)表現規制反対派、(d)反フェミニズム派と定義している。こちらは青識亜論氏も気づいて、オタクの定義とはそのようなものではないと主張しているが、青地氏が(a)~(d)すべてを備えた人をオタクとは定義していないことにも注意すべきだ。青地氏のオタク定義は、二段階に、多義的になっている可能性が高い。多義的な単語の意味を刻々と摩り替えて主張を行なう語義曖昧論法が繰り出される事になる。

一段目は、説得的定義を行なうための語義曖昧論法だ。(定義(c)から)表現規制反対派はオタク、(定義(a)から)オタクは二次元児童ポルノの愛好者だと演繹する誤謬を行なおうと準備している。表現規制反対派を二次元児童ポルノの愛好者と規定することで、表現規制反対派に否定的な感情を呼び起こそうとしているし、その反対理由は自己利益であって公共の利益ではないと思わせたいのであろう。さらには、(消されたツイートから考えるに)現実の性暴力に加担しているぐらい言いたいかも知れない。

二段目は、例えば「私はオタクだが、あなたは私を社会の敵呼ばわりするのか?」と大勢に詰め寄られたときに誤魔化すときに使われる。つまり、(a)~(d)すべてを備えたオタクを非難しているだけであって、単なるオタクは非難していないと弁解するわけだ。「(一般定義の)オタクは社会の敵だ」と主張したいわけだが、論争が激化して自説の維持が難しくなると、「(独自定義、それも狭義になる方の)オタクは社会の敵だ」と論証がやさしくなるように定義を変える。モット・アンド・ベイリー論法*3と言う名前がついている。

3. まずは誤謬や詭弁を非難すべき

誤謬を受けて議論を進めると、後々混乱することになる。青地イザンベール真美に指摘すべきは、表現規制反対派にレッテルを貼る必要は無いの一点であった。短く過不足が無い表現*4を、わざわざ言い換えようとすること自体に問題がある。青地氏は「萌え豚」ではあからさま過ぎる*5と言う配慮をするものの、人前で堂々と表現規制反対派に貼り付ける否定的な単語を相談しており、意識してレトリックを操ろうとはしていないように見えるが、意識せずに誤謬を起こし詭弁を弄する人々は多くいる。都議会選に大差で落ちてしまうぐらいの政治力の人なので、その言動を気にする必要もない気がするが、やるならば揚げ足を取るような感じで否定してしまう方が良かったと思う。

*1論点整理:「パブリックエネミー」発言の何が問題だったのか|青識亜論|note

*2関連記事:本当の…は~論法はだいたい誤謬

*3関連記事:アレな評論家の得意技モット・アンド・ベイリー論法

*4青地氏を批判しているのは表現規制反対派なのは論点からして間違いないが、オタクやアンチ・フェミニストと言うのは相関していても完全に合致する集合ではない。厳密には間違いだ。

*5青識亜論氏は「私は、人間を豚に例示すること全般が不当だとは思いません」と言っているのだが、豚は人間に使えば蔑称である。青識亜論氏があげているJ.S.ミルの「満足な豚よりも不満足な人間であれ」も、安易な享楽に溺れる人間は道徳的に劣ると言う意味で豚と蔑称されているわけで、決して良い意味では使われていない。他にも留置所の隠語である豚箱は、犯罪者はマトモな人間ではないと言う意味で豚になっており、豚児は愚息と同じ謙譲表現である。

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