2017年10月19日木曜日

開かれた独裁国家が分かる「物語 シンガポールの歴史」

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気づくと産油国を除けばアジアでもっとも豊かな国となったシンガポールは、実業家上がりのオピニオン・リーダーに理想郷のように思われているようだ。しかし、実際にどういう国か、マーライオンが実はしょぼい*1以上の事を知っている人はそんなにいないと思う。世間一般にもたれているのは、経済活動に勤しむオープンな都市国家と言うイメージであろうか。

もう少し詳しく、開発独裁の成功例、民主主義の実在する否定と言うイメージを持つ人々も多いと思うが、具体的に何をしているのか説明できない場合も少なく無いであろう。他にもリー・クアンユーが率いていた人民行動党が選挙制度をどのように骨抜きにしているのか、どのように政敵を葬ってきているのか、アジアのトップ大学が存在する一方で、大学教育以外がどうなっているのか、説明できるであろうか。少なくとも私には無理だった。

物語 シンガポールの歴史」は、私のようにシンガポールにふわふわしたイメージしか持たない人向けの本で、建国から現代までをオーバービューできるようになっている。読むと中々面白い。世界に類例を探すのが難しい国である。19世紀前半にほとんど人が住んでいない地域に作られた植民地で、国民全員が移民をルーツに持っているが、古代まで遡らないと新たに未開地域を開拓し国家を形成するに至った都市は無いであろう。紆余曲折の末に、1965年にマレーシアから追放されて独立国家になったわけだが、間違って追い出されて独立する国家も他に聞かない。マレーシアから分離独立後、移民を定着させるための持家政策も、類例は思いつかない。

反リベラルの鑑的な国家なのは間違いないであろう。マレーシアとインドネシアに挟まれた、交通の要所である地理的な話を除けば資源の無い小国を、いかに維持・発展させるかの解が開発独裁で、指導者リー・クアンユーはそれに確信を持っていた。国家発展のためには民主主義はもちろん、社会を構成するエシニシティが持つ言語などの文化も顧みない。与党が有利なように選挙制度を設計し、政府批判を名誉毀損として司法を使って封殺する。英語社会化政策を緩めて二言語政策にしたと言っても、広東語の家庭に北京語を学べと押し付ける。異なるエシニシティを同じ集合住宅に入居させる混住政策も、容赦のない民族分断である。

これからも興味深い事例とはなっていきそうである。シンガポールの政治や経済も曲がり角に来ていて、リー・クアンユーが完全に引退する契機になった2011年の選挙の前後で、人々の政治意識が変わってきたようだ。移民国家なのだが、新たな移民の受け入れに対しての抵抗が増しており、また人民行動党の事実上の独裁体制に不満を持つ若者が増えていると言う。経済がよければ、政治はどうでもよいと言う風潮は退行しているらしい。経済の成熟にも関わらず出生率の低下も深刻で、少しだがインセンティブをつけているが回復はしていない。色々と転換期に差し掛かっているのは確かのようだ。

*1オリジナルのマーライオン公園の像は写真よりしょぼいと評判だが、セントーサ島の巨大マーライオンは37mある(シンガポールにマーライオン像は何頭いるのか?)。

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