2017年10月17日火曜日

賭け金を全て行動経済学に載せない方がよい理由

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2017年のノーベル経済学賞もしくはスウェーデン銀行協会賞は、行動経済学の大家であるセイラーに決まった。2002年にカーネマンらと同時受賞をしていてもおかしく無い人で、今回の単独受賞の理由を訝しがる人もいるが、賞に相応しい業績を持つ人物であるのは間違いない。あぶく銭を軽率に使ってしまう限定合理性、国や地域によって公正な振る舞いに差があることを意味する社会的選好、夏までに痩せると宣言し菓子を貪る自制心の欠如を、存在証明し分析した功績がある*1。しかし、これで行動経済学の知見を鵜呑みにするべきかと言うと、そうでもない。

行動経済学の知見は、安定的に観察されない事がある。セイラーの業績でも、同じモノでも自分が持っているモノの市場価値を高く見積もってしまうという授かり効果(endowment effect)について、反例となる研究が報告されている*2。認知バイアスで不合理な取引をしていたとしても、人間は何かの機会でそれに気づくと問題を補正する事ができる。特にお金がかかるとシビアに状況を判断するようになることが知られている。2002年にカーネマンと同時受賞になったバーノン・スミスは、市場取引を模した実験(double oral auction)を繰り返すと、実験結果の価格と取引量が、競争均衡を仮定した理論値に、実験参加者同士が相談することなく近づいていく事を発見した*3

もちろん、限度はある。双曲割引は知られて久しいが、双曲割引が観察されなくなったとは聞かない。スミスも実験の取引のルールを変えることで、実験結果が競争均衡を仮定した理論値に近づいていく速度が異なる事を発見している。財によっては不動産などのように取引回数が限られるため、人々は認知バイアスが解消される前に死んでしまうかも知れない。十年に一度は起きるとされるバブルなので、常にその崩壊を何度も見聞きし体験した人々が多くいるわけだが、新たなバブルはどこからとも発生してくる。今も人々はビットコインの値付けの合理性を見出すのに苦労しているようだ*4

従来の人々の合理性に基づく経済学が全てを説明できるとは言えない。しかし、認知バイアスが保存される状況は限られたものになるであろう。伝聞だが、セイラーは行動経済学の知見を生かすためのNudgesと言う工夫を政策に反映させることを提唱している*5が、セイラー自身も価格メカニズムの方が重要だと強調している*6。行動経済学が流行っているからと言って、賭け金は全て行動経済学の知見が指す方に載せない方が良い。

追記(2022/07/21 10:30):このエントリーを書いてから5年弱経って、行動経済学に基づく政策であるナッジが、効果量は大きくないし(Hummel and Maedche (2019))、学術論文で報告されたナッジを大規模に追試したら効果量が6分の1になったし(DellaVigna and Linos (2020))、出版バイアスを厳密に補正したらナッジの効果なんて認められない(Maier, Stanley, Shanks, Harris and Wagenmakers (2022))と言う話になった。

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