2016年6月9日木曜日

東京財団版長期財政推計モデル(β版)がリフレ派の何かに作用中

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ネットで公開されている簡素な財政シミュレーター『東京財団版長期財政推計モデル(β版)』でネット界隈の最近は反増税派になっているリフレ派の皆様が、財務省の手下の財政再建派の経済学者の仕事が粗雑過ぎると狂喜している*1。しかし、そういう行為が楽しい年頃なのは分からなくもないが、作りがシンプル過ぎる、構造が単純すぎると言う批判は、それでも機能するのであれば十分なわけで、不適切なものであろう。また、話題のモデルは財務省の仕事ではないので、色々と誤解があるようだ。

1. 大雑把な目安をつけるためのモデル

構造が単純すぎると狂喜している人々は、複雑である事がシミュレーターの目的ではないことに注意すべきだ。住宅ローンの返済シミュレーションでも大雑把な目安をつけるためのものであって、犯罪を犯して解雇されたり、離婚をしたりする確率まで考慮したものを使うわけではない。繰上げ返済をしたりして、当初プランと異なる返済になる人も多いであろうが、だからと言って当初のプランが無駄だったとは思わないはずだ。むしろ想定と結果の関係が把握できる程度の簡素なシミュレーターの方が好まれるであろう。分析結果だけを知りたいわけではなく、色々といじって検討する場合は特にそうだ。私が見るに、東京財団モデルはこういう用途のためにある。標準的な経済モデルと合致するような挙動にはなっていないし、精度を追求するための細工はされていないが、これらを追及するとモデルの用途にあわなくなる。

2. 他分野のモデルも複雑で精度が高いとは限らない

揶揄も空回りしている。「物理学のモデルではあり得ない」と言う意見をそれなり見かけるのだが、モデルの複雑さは要素の種類に大きく依存する事を忘れているようだ。物理学のモデルでも、要素の数が少ないとシンプルなものになる*2。精度が低いから何の役にも立たないような主張も見かけるが、事業会社の収益計画も精度が低くても他に何も無いよりましと言う程度のものが多い。在庫が余ることも、在庫が不足することもよくある。自然科学でもロトカ・ヴォルテラの方程式など、実環境ではそう信頼性が高いものでは無いであろう。ソースコードの可読性が低いと言う指摘があったのだが、プログラミング技法としては素朴なものなので、読むのに苦しむものではない。単純すぎると批判していたのでは無いのか。コメントもついている。もっとぐちゃぐちゃなコードは山ほどあるから。「気象庁に任せるべき」と言う意見も良く見かけるのだが、天気予報は人間のように裏をかいて上手くやろうとしない気象データを高い精度で大量に観察して処理しているが、経済データはそう良い振る舞いをしてくれない。比較するには状況が違いすぎる。

3. もっと複雑な経済モデルは既に存在する

東京財団モデルが単純すぎるから、リフレ派の想定通りに振舞わないような言説もみかけるのだが、複雑なモデルなら他に既にあってリフレ派の希望通りに振舞っていない。内閣府が作っている「経済財政モデル」は、一見したぐらいでは把握ができないぐらい複雑なものになっていて、経済学的な裏づけも良く分からない状態になっているが、リフレ派の嫌いな財務省シナリオを計算してくれる。マクロ経済学者も一般均衡モデルから理論的に整合的な計算をしていて、経済成長率が3%で消費税率が15%でも基礎的財政収支は悪化する*3、財政破綻しないために必要な消費税率は30%超*4のような計算をしている。リフレ派と目される原田泰氏も社会保障支出の削減がなければ20%台の消費税が必要との計算結果を出している*5

4. 東京財団モデルは既にリフレ派の議論に貢献している

β版と言うことがあるのか、一点、明確におかしい所があり*6、一点、用語定義が社会通念上のものと異なる部分があり*7、一点、非直観的な動きをする部分がある*8のだが、技術進歩率などの想定を変えたときに財政赤字が上へ発散するのかしないのかを見るには十分であろう。構造が単純なだけに、公開されているソースコードの気に入らない仮定による部分を書き換えて、どうシナリオが変化するかも検討する事ができる。

himaginary氏が、リフレ派が主張するように消費増税で経済成長率が落ち込む仮定を加えて様子を見ている*9が、増税時の基礎的財政収支の改善程度が低くなっている。つまり、消費増税が経済成長率を落とすと言うリフレ派の主張は、消費増税幅をもっと引き上げなければいけないと言う結論を導くわけだ。リフレ派の消費増税の無期延期もしくは減税が正当化されるには、増税すると税収が落ち込むほど経済成長率を落とすと言う強い仮定*10がいる事がわかる。議論の焦点が絞られた。

*1財務省の「糞ゲー」と、それを作った人たち、宣伝する新聞

*2常微分/偏微分方程式モデルを見ると、要素の種類が少なければモデルも数本の式にまとめられる事がわかる。ニュートンの多体問題でもそう長いコードにはならない。これらをRでプロットなどしてみると、数十行で作業が終わることが分かるはずだ(例:Rで偏微分方程式)。数値計算を行うためのテクニックは必要だし、一本の式で書かれていても処理に手間隙がかかるケースはあるが、簡素だから劣っているとは言えない。

*3İmrohoroğlu and Sudo (2011) "Productivity and Fiscal Policy in Japan: Short-Term Forecasts from the Standard Growth Model," Monetary and Economic Studies, Vol.29

*4Hansen and İmrohoroğlu (2015) "Fiscal Reform and Government Debt in Japan: A Neoclassical Perspective"(左記はDPで、公刊はReview of Economic Dynamics, Vol.21, July 2016, pp.201--224)

*5関連記事:消費税アップは15年後でよい ─ 社会保障費の削減ができれば by 原田泰

*6消費者物価指数上昇率に消費増税の影響が反映されない。なお、開発者には連絡した。

*7SNAで定義される名目GDPは市場価格表示なので消費税収分だけかさ上げされる現象があるのだが、東京財団モデルのGDPは要素費用表示なのか、そのように振舞わない。『消費税率を1000%に引き上げたら、消費税収がGDPを追い抜いた』と批判されているが、その原因はこれだと思われる。

*8パラメーターによっては、累積債務一掃後、マイナス方向に財政赤字が発散する。国民に高税率をかけ、それが払えないとなると納税資金を貸し付け、さらに利子を取るヤクザな政府だと解釈できなくもないが、累積債務ゼロで止めた方が良いかも知れない。

*9蕎麦屋の蕎麦にラーメンの汁を足してみると

*102014年の消費増税後、税収は確実に増加している(関連記事:消費税率を引き上げても、税収は減らなかった)。

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