2016年3月31日木曜日

「働く女子の運命」と言うか、働く女性の近現代史

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目を惹く秀逸なタイトルで気になっていた、濱口桂一郎氏の『働く女子の運命』を拝読した。ネット界隈の社会学者などが女性の就業や育児出産などの問題を取り上げる事は多いのだが、歴史的経緯を説明してくれないと言うか考慮していない事が多く、門外漢には彼らの問題意識の妥当性が分からない事が多い。本書は、濱口氏の過去の著作と同様に、戦前からの労働政策をまとめており手軽に経緯を追えると言う意味で、経済学などの抽象化された分野をバックグラウンドに持つ人々には重宝する一冊だと思う。現在の政策的課題も第4章で説明されており、それに対する回答も提案されている。メンバーシップ型とジョブ型の雇用形態の違いで整理されている所は、いつもの通りである。さて、つらつらと感想を書いてみたい。

戦後の日本の女性の労働環境は大きく変遷してきたが、ジョブの範囲や勤務時間を明確に定めず労働者の負荷が大きいメンバーシップ型雇用と、賃金が労働者とその扶養家族の生活費を基準に算定すべきと言う生活給思想が、養われる側とされてしまう女性の就業を何だかんだと今でも阻害しているそうだ。男女均等法改正によって、結婚退職や女子若年定年制などの露骨な女性差別が、男性向け総合職、女性向け一般職のようにコース分け採用になり、さらに昨今では人材派遣の躍進により一般職が死滅しつつあったりするが、現状でも無制限な労働時間などをもたらす雇用条件が間接的に女性を総合職から排除している。

生活給思想はGHQや世界労連から非難(pp.83–88)されもしたが、メンバーシップ型雇用で従事する仕事の内容や職務の価値で決定される職務給を出す事に困難を伴うためか、日本企業に根強く支持されてきた。この雇用慣行には教科書的な経済理論で捉えづらいところがある。古典派の第一公準からすると、賃金は労働の限界生産物に等しくなる*1。そうなるべきではなくそうなってしまうのがポイントで、理屈が正しければ女性はその能力に応じた職が得られて来たはずである。メンバーシップ型雇用や生活給の合理性を説明するのは困難な気がするのだがどうであろうか*2。有能な人材であるほど、生活給よりも職務給の方が収入が大きくなりそうなものである。私が気づいていないメリットがあるのか、企業経営者が固定観念に囚われて、合理的な判断が出来なくなっているのか*3

生活給思想がなくても、男女差別が合理的に生じる可能性はある。統計的差別がそれだ。ところで、「とても日本的な統計的差別」(pp.169–171)の節に幾つか気になるところがあった。まず、アローとフェルプスは男女の勤続年数の違いを議論していないと言うのは確かではあるが、それは問題なのであろうか。ジョブ遂行能力であろうが、勤続年数の違いであろうが、産休・育休だろうが、企業収益に影響を与える理由が何かあれば、数理的には同様の議論になる。その理由が日本独特のOJTであっても良いはずだ*4。次に、『いうまでもなくこれは社会全体としては非効率な意思決定』と言うところが気になった。統計的差別では少数に不釣合な仕事を割り当ててしまう損失が生じるが、統計的差別無しではもっと多くに不釣合な仕事を割り当ててしまう、もしくは採用候補を全て精査する費用が膨大である状況で使われており、単純な想定では社会全体としては(補償原理的に)改善になる*5「非効率な意思決定」としているのは、差別される人々が人的資本の形成を怠ったりする事象などを強調した上での議論では無いであろうか*6。濱口氏が参照している遠藤公嗣氏のエッセイで、なぜ市場の失敗と言えるのかまで説明していなかった為だと思うが*7

なお、こう書くと統計的差別を肯定しているように捉えられるそうだが、そうではない。統計的差別が正当化される条件を良く把握しておくのが、雇用習慣を考える上で重要であると言うだけだ。雇用における男女差別が統計的差別(Statistical Discrimination)に基づく合理的なものなのか、偏見による差別(Taste Discrimination)なのか、実証的に十分に評価されているのであろうか。例えば、上述のOJTを理由にした統計的差別の場合は女性の高い離職率が問題になっているが、女性の離職を促進するような制度を作っているため、統計自体にバイアスがかかっていたりする可能性がある。また、本当に女性の離職率が高いにしろ、昇給カーブで調整できないほどの損害を与えていると言えるであるかは分からない。さらに個別企業にとって合理的な統計的差別であっても、社会全体に悪影響である可能性はある。四大卒ではなく短大卒の女性が評価された時代は、統計的差別は人的資本の形成を阻害するので社会悪と言うモデルを彷彿とさせる。今でも大学進学時に、文学部など就職に弱い専門を選ぶ女生徒は多い*8。加えて社会的余剰が改善されたり、パレート改善になったりしても、公平性などの他の倫理的基準で正当化されるとも限らない。

ただし、統計的差別が生じうるものだと言うことは、常に意識しておくべきであろう。現在問題になっているのは転勤や長時間労働で、これに対して濱口氏は勤務地や勤務時間が制限されたジョブ型雇用*9を増加させる事を提案している(pp.238–239)。今でも勤務地や勤務時間が制限されたジョブ型雇用が、パートタイマー、派遣社員、限定性社員と言った形態で存在しているので、ジョブ型雇用の職種を広げ、待遇を改善していくべきと言う事であろう。米国のホワイトカラーを見るにジョブ型雇用の効果に限度はありそうだが、今よりは女性の選択肢が広がるとは思う。しかし、統計的差別を解決しないと、ジョブ型雇用の拡大は難しいかも知れない。高い離職率や産休・育休が企業負担になる事を考えると、女性が好む雇用契約の方の賃金を下げざるを得ないからだ。これを、現在まで厳密に適用されてきたわけではない*10が、同一労働同一賃金原則に反すると規制すると、女性が好む雇用契約をオファーしなくなる。企業負担を補償する何らかの補助金を作る必要があるであろう。補助金の支給は不正受給などの問題をもたらすので、いっそジョブ型雇用の促進を諦めて長時間労働を規制するだけに専念する方が良いかも知れない。採用される男女比に統計的差別による差が残るであろうが、女性の雇用環境の改善にはなるであろう。本書ではP.231で労働時間の規制がライフワークバランスをもたらす事を指摘している。

こんな事を思いながら拝読したのだが、昔の状況を知る事によって、遅々とした進みでも世相は変わって来ているのを感じる一冊であった。なお、個人的には統計的差別について著名論文の主張を確認したりしたので読むのが大変だったが、普通はさらさらと読める文章だと思う。

*1経団連の言う「同一価値労働同一賃金原則」(pp.133–136)は、同一価値を同一労働力ではなく、同一の限界生産物と捉えると、これに近い。同じチームで同じポジションなのに年俸が大きく異なるプロスポーツ選手のような状態。もちろん、個別の労働者の限界生産物を測定できるのかと言う問題が残る。

*2長期雇用には個別企業に特化したスキルを身につけさせる経済的合理性があるとよく説明されているが、ジョブ型長期雇用が不可能だとも思えない。

*3理論的にも不完備市場だと非効率な企業が効率的な企業を駆逐される事もありうるそうだ(Beker(2004))。

*4むしろ日米共通の要素があったら、米国でも同様の現象が生じているべきなので、日本独特な要因で説明した方が望ましいであろう。ただし人的資本の蓄積になりうるOJTが問題なので、脚注5で説明する議論から全く別の議論になってしまう可能性はある。

*5例えば良く参照されているAigner and Cain (1977)の場合、属性ごとの従業員の就業能力の分布を一定にした状態で、属性ごとに就業能力のスクリーニングの難易度が異なるとし、統計的差別を許した状態と禁止した状態の従業員の就業能力の分布の分散を比較すると、禁止した状態の方が大きくなる。つまり、ミスマッチ人材が多くなる。ここで生産性が個々の能力の平均で決定されるのではなく、ばらつきにも影響されるとすると、これは社会的余剰の低下をもたらす事になる。なお、(この論文本来の設定だが)生産性が個々の能力の平均で決定される場合でも、統計的差別の禁止は社会的余剰の改善をもたらさない。

*6初期のフェルプスやベッカーのモデルでは社会全体に関する分析は与えられておらず、むしろそのモデルをベースに分析を行っても、効率性の観点からは政策的介入を正当化することは出来ない(Cain (1985))。ただし、統計的差別の影響により人的資本の蓄積を怠けだす効果を導入すると、政策的介入を正当化でき無くもない。例えばLundberg and Startz (1983)はそう言うモデルになっている(Norman(2003)の6.3節を参照)。

*7批判的に記述しているが、米国で統計的差別が「市場の失敗」と考えられている事は恐らく確かで、脚注6で紹介したNorman(2003)でも前文に同様の記述がある。ただし統計的差別が「市場の失敗」とする理論モデルを良く読めば、その議論にさほど普遍性が無いことが分かる。

*8もちろん、この事実だけで理論通りであったとは言えない。

*9ソフトウェア・エンジニアはどちらかと言うとジョブ型なはずなのだが、労働時間に制限がかかっているようにも思えず、さらに突然、遠隔地の客先に何ヶ月も飛ばされたりするので、ジョブ型になっても女に向かない職業はあるように思える。男にも向いているとは思わないが。

*10どちらも週一定以上の労働時間、同一の業務に従事しているとしても、正社員と非正規の間の賃金格差は2割程度つけられるらしいが、総合職と一般職のようなコース別でどの程度の差をつけられるかは、何かの裁判が報道されていた記憶があるのだが、報道などを見つけられなかった。まぁ、そのうち濱口氏が教えてくれるであろう。

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