2016年2月25日木曜日

沖縄の歴史と文化

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日本帝国主義の被害者として沖縄先住民の琉球民族を位置づけようとする人々がいるのだが、日ごろ沖縄時間で生活をしていると非難されているとは言え、沖縄文化はサーターアンダーギーとクーブイリチーしか知らない東京人なので*1、沖縄県民の先住民としてのエスニシティがそんなに強いものなのか良く理解できない。どの程度の独自性があるのか気になったので、『沖縄の歴史と文化』で確認してみた。独自性は確かにある。しかし、内地に住む人々とエスニシティが最も近い事は間違いないようだ。

1. 日本語の方言もしくは、日本語に近い沖縄の言葉

ユネスコが独自言語などを保有すると主張している*2ので、言語の所をまず読んでみた。独自言語と分類するにしろ、日本語方言と分類するにしろ、言語的には沖縄に最も近いのは本土であり、それも長年の交流の形跡が見られるようだ。15世紀には仮名交じり文を使っていたが、独自の石刻絵文字やバラザン(藁算)も使っていた。古い日本語の単語が残っていたり内地との交流を感じさせるが、単語の変化は合致しない。平安時代の「明障子」と言う単語が、沖縄では「あかり」、内地では「障子」に省略され定着するなど、各所に共通点と相違点がある。なお、奄美・沖縄と宮古・八重山は言語的にだいぶ違うらしい。また、内地の人とは話が通じなかったそうだが、明治の国語教育が始まる前は、内地も遠隔地同士は話が通じなかったそうなので、これは文化的な距離を表すのかは分からない。

2. 独自ではあるが日本に近い文化様式

文化的にも「おもろ」と言う歌があって、これから歴史などが推測できるために重要らしく、色々と紹介されていた。立派な亀甲墓が良く知られており、ニライカナイという単語を拝借しているアニメは多いが、日本各地の神道の違いが分からないのではっきりとは分からないのだが、琉球神道も独自要素は多いようだ。遺伝的には近いアイヌ人にはイオマンテと言う縄文文化の形跡があって、沖縄の人々にも同様のものを期待したのだが無いようだ。縄文人は本州でイノシシを生贄にしていたのだが、アイヌ人はイノシシのいない北海道でクマで代用するようになったと言う。沖縄人にもカジキあたりで代用して欲しかった。一年間、飼えないから駄目だったのであろうか。また民間の建屋は日本家屋らしいが、便所(フール)と門の内側にある壁(ヒンプン)は中国の影響を受けたものだそうだ。

3. 17世紀の薩摩藩の進攻後、日本統治に組み込まれる

歴史的には、もともとは縄文人として内地と同様のエスニシティを持ち、それが分化していったようだ。日本書紀などに記録が見られるが、その後は内地とは目立った交流は無く、グスク時代と言う原始社会が12世紀頃まで続き、そこから15世紀前半までかけて統一王朝である琉球王国を形成していったと考えられる。ただし1609年に薩摩藩の進攻を受け、属国になる。琉球王国は海上交易で利益を上げていたのだが、その地位は欧州勢力の出現により圧迫されていったらしい。なお薩摩藩の進攻後、琉球王国は、宮古・八重山だけに重い人頭税をかけ、属国として搾取していた。特に八重山では嬰児殺しところか弱った成人男性や妊婦を殺して人口調整をするまで追い込まれていたらしい。薩摩藩が琉球王国を、琉球王国が宮古・八重山を属国にしていた時代が、明治政府の琉球処分まで続いた。なお、明治政府は琉球処分にまつわる交渉で宮古・八重山の割譲を清国に提案して拒否されており、少なくとも宮古・八重山は分割可能な辺境部と思われていたようだ。ただし、明治30年代から近代化政策が行われ、参政権などを含めて内地と同様の扱いになっていく。

4. 琉球処分を米国のハワイ併合のように捉えるのは無理

さて、本書の内容を超えた考察をしてみたい。琉球処分を米国のハワイ併合のように捉える向きもネット界隈にはいるのだが、かなり無理があるように思える。ハワイ王国を征服した欧州系の人々と先住民の接触は18世紀からで歴史的・文化的つながりは極めて薄いが、内地の人々と沖縄の人々は先史時代まで遡る。琉球王国はハワイ王国のように列強から独立国として承認されていた存在ではなかった。ハワイ王国は白人や日系人など多くの移民が存在したが、琉球王国には本土からの移住者が多くいたわけではない。ハワイ王国では軍事的衝突をともなう抵抗運動が勃発したそうだが、琉球処分では1609年の薩摩藩の進攻時とは異なり、士族が住民に琉球藩王への忠誠を誓わせた血判誓約書を押させて回ったのにも関わらず、清国への陳情しか抵抗運動は生じなかった。士族階級の消極抵抗運動しか生じていない。

5. 内地と沖縄の関係は、デンマークとノルウェーに似ている

沖縄は言語を含めて文化的、人種的に近い民族の日本国に吸収されたと言うことになるが、この二つの関係はデンマーク=ノルウェーに似ている気がする。同君連合ではあるが、ノルウェーは実態上は属国であったそうだ。デンマークもノルウェーも原始ゲルマン人から派生した民族であり、デンマーク語とノルウェー語は北ゲルマン語群で似ている。一説によると、特別な訓練なしにノルウェー人はデンマーク語を、デンマーク人はノルウェー語を何とか理解できるぐらいらしい。内地と沖縄でエスニシティが、白人とポリネシア人のように異なると言われるとかなり違和感があるので、デンマーク人とノルウェー人ぐらいにして欲しい。

カルマル連合やデンマーク・ノルウェー連合王国をデンマーク帝国主義の結果と位置づける人はほとんどいない。琉球処分を帝国主義的領土拡張政策によるものと捉えるのも、無理があるように思える。欧米列強に対抗する意図はあったと思うが。

*1沖縄料理と言えばゴーヤチャンプルが有名だと思うが、昔は東京で素材が入手できなかったせいなのか口伝で知る機会が無かった(←もちろん検索すれば良い)。なお、他にかまぼこも作っていたらしい。

*2もっとも独自言語と見るか一方言と見るかは、学者によって見解が異なるようだ。

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