2015年12月25日金曜日

橘玲の経済学の理解のどこがヤバいのか

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作家の橘玲氏が『マクロ経済学のどこがヤバいのか』と言うエントリーで、経済学について語っている。合理的経済人と限界費用逓増法則を批判しているのだが、色々と変になっているので指摘したい。今は経済学で言う合理性がどういうものなのか、限界費用逓増法則が成立しない、つまり規模経済性があるときにどういう世界になるかミクロ経済学のテキストに良く説明が書いてあると思うのだが。

1. 合理的経済人

合理的経済人を修正した概念のように合理的期待形成が説明されているのだが、合理的経済人が知りうる限りの情報から予想形成するのが合理的期待形成なので、書き間違いでなければ理解に問題がある。また、合理的経済人は全知全能ではなく、その選好に一貫性があることしか意味しない。

橘玲氏の文章中に『ルーカスは、市場のあらゆる情報を知り、数学的に最適な選択を行なう全知全能「合理的経済人」を仮定しなかった』とある。この部分だけだと「の」が同格なのか限定なのか判別がつかないのだが、その後で『行動経済学などから、「合理的期待」について厳しい批判が浴びせられた』とあるので、同格であろう。

2. 限界費用逓増の法則の実例

実証的に『「資本設備が一定で短期の場合」限界費用は逓増する』ので、『近代経済学の中心命題である一般均衡が成立するには、限界費用は逓増しなければならない』とあるのだが、限界費用逓増と言うか規模に関して収穫逓減する例が良くない。「料理人を詰め込みすぎて大混乱しているレストラン」の話に惑わされすぎであろう。

農業で考える方が良い。畑と肥料と労働量と収穫物の関係を考えよう。肥料と労働量を増やすと単位収穫量は増えていくが、その効果は逓減していく。また、労働量を増やして労働者の時給を下げると、そのうち離職されてしまうであろう。大抵、投入要素のコストは逓増していく。こうして、限界費用逓増の法則が成立する。

実例を考えよう。生産をすればするほど安くなるならば、新興国需要の増加を背景に原油価格など上がらなかったはずだ。他にも飲食店で出店を増やすと費用対効果は落ちていくものだ。経営が悪化すると店舗数を減らすなどリストラをして効率を高めようとするのは、限界費用が逓増していたからだ。

3. 規模経済性があっても均衡は得られる

1950年代の企業管理職へのアンケートで限界費用逓増法則が否定されたとある。習熟曲線などの技術進歩の効果を除外したものなのか不安なのだが、それはさておき、固定費用が大きい産業では(限界ではなく平均費用になるが)このような事が起こりうる。鉄道や電力などのインフラ企業がそれだ。これは1988年のミクロ経済学のテキストにもしっかり書いてあって、競争均衡ではない他の均衡が議論されている。一般均衡にもなるから、競争均衡を否定しても、ミクロ経済学全体が崩壊はしない。

4. その他の部分

『ミクロ経済学は…「帰納型」で…マクロ経済学は「演繹型」だ』は、帰納と演繹が逆ではないであろうか。この後の「いまでは、この区別はほとんど意味がなくなっている」はその通りなのだが。

実験経済学は実験室内だけで行うものではなく、開発途上国などで大規模に実施されているものもあり、また合理的経済人を全面否定するものでもない。一見すると不合理だが、良く考えると合理的と言うこともあるので。

1 コメント:

Guko さんのコメント...

いつも非常に幅広く、かつ深い議論をされており、尊敬の念を持ってブログを拝見させていただいています。

私は、学部時代に経済を学んだだけの素人ですが、帰納と演繹に関する議論については、帰納と演繹が逆かどうか、というより、橘氏の論理が誤っている(家計・企業なら帰納型、一国のデータなら演繹型であるかのように勘違いしている)のが一番の問題なのではないかと思います。

ミクロ経済学については、リカードあたりは完全に抽象的・演繹型ですが、経済学を確率的に考えたジェヴォンズあたりは帰納型と思います。

確かに、ケインズは、個別的状況(世界大不況での大量失業発生)の中から、新しい経済理論を蓋然性に基づき導いたので、(古い)マクロ経済学については、帰納型と言う方が正しいとは思いますが・・・。(参考:イギリス経済学における方法論の展開(昭和堂))

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