2015年11月17日火曜日

これから「殺人」の話をしよう

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あなたは何を元に善悪の判断を下しているのであろうか。信条を直感的に参照している人が多いと思うが、その信条が適切なものか考えたことの無い人は多いであろう。左派やリベラルを自認する人々には、特にそういう人々が多いように思う。

「直感的な価値規範の問題なので論理的議論は難しい」と開き直る人もいるのだが、中心となる倫理から、具体的な行為における規範を説明するぐらいはして欲しい所だ。実際に、倫理学者の間では有名な功利主義者のピーター・シンガーの名著『実践の倫理』を読んでみると、ある程度は論理的に説明されることが分かる。

本書は教科書的ではなく、90年代(そして今でも)話題になる倫理的なトピックを取り上げたものだ。前半と後半で議論の流れが違うのだが、前半の選好功利主義の立場から、いかにも論争を呼びそうな畜産、中絶、嬰児殺し、安楽死などが議論されている部分の議論は参考になる。キリスト教の戒律などの他の倫理への批判が長々と入るので見通しは良くないのだが、シンガーの主張の核となる原理部分は以下のようなもので明確で、そこから結論が自然に演繹されている。

  1. <利益に対する平等な配慮>を原理として採用する(p.24)。「人格」の能力や道徳心に関わらず、その幸福や苦痛と言った利益不利益の総和が問題であるとする。帰結が問題であり、作為と不作為の間に違いは無い*1
  2. 「人格」を<理性的で自己意識のある存在>であると定義する(p.106)。この表現だけでは理解するのは難しいが、「自分の将来に関する欲求を持つことができる」(p.108)とあるので、「まだ死にたくない、明日は散歩に行きたい」と思えるような存在が「人格」になる。
  3. 「人格の利益とは、すべての利益不利益を考慮に入れ関連する事実をすべて勘案した時にその人格が選好するもの」(p.114)と定義する。
  4. 既に存在している「人格」の利益を考慮する存在先行説を採用する。同じ生活水準の人間(どころか小動物)を大量に増やしても社会改善になる総量説は採用しない(p.148 P1)。
  5. 限界効用逓減の法則と、効用の個人間比較可能を受け入れる*2

前提は色々とついているのだが、上の原理から演繹される各論は次のようなものだ。性差別や人種差別は、差別される「人格」の苦痛を考慮に入れていないので、否定される。中絶、嬰児殺し、安楽死などは、何も未来に対する選好を持たない非人格の殺害なので、他の「人格」の苦痛を考慮に入れない限り、それ自体は肯定される。畜産は家畜が<理性的で自己意識のある存在>であると考えられるため、「人格」の殺害になるから否定される*3。明日、魚を採りに行こうと思った天蓋孤独の「人格」が、苦痛も無く殺されるとしよう。その「人格」が生死の選択をしたとすると生を選好したであろうから、不正になる。ここでの「人格」は人間とは限らず、熊でも同じである*4。経済援助*5や難民移民の受け入れは、<利益に対する平等な配慮>から肯定される。全般的に不自然な議論は無いように感じる。

ただし後半になると、歯切れが悪くなる。環境問題は「人格」の利益から決定されるべきような話になっている(p.328, p.338)だけで、法と秩序を破って良いかは場合によると歯切れの悪い結論になっている(p.378)。最後の第12章の「なぜ道徳的に行為するのか」は、希望を述べるだけの議論になっている気がしなくも無い。

気兼ねなく肉類を食べたいので道徳的な人間になる気はないのだが、中絶や安楽死などでの情緒的な議論を批判するために、議論を借りてくるのに便利な本である。義務論などへの反駁も多くあるので、トピックに関する倫理的議論にどのようなものがあるかも把握できる。本質的に倫理に関心がある人は少ないと思うけれども、全く関連しない社会問題は無い。一冊でもしっかりした本を読んでおく価値はあると思う。

*1「殺すことと死ぬにまかせることとの間には内在的な道徳的違いがまったくない・・・つまり、行為と不作為の区別にだけもとづけば、何ら違いがない」(p.251)とある。ただし、外在的な要因で、同じとは言えないと議論されている。例えば援助されない困窮者が死亡したとして、援助が確実に困窮者の命を救ったかには不確実性があることから、道徳的に同じとは言い切れない(p.272)。

*2p.59に「<利益に対する平等な配慮>の原理が平等への動きを支持するのは、限界効用逓減の法則による」とある。p.74に効用の個人間比較可能性について言及があり、「異なった種の成員の間の苦しみを正確に比較することはできない」事を認めつつ、「正確である必要はない」と開き直っている。

*3畜産産業なくして人間が健康的に過ごせるのかは、栄養面から考えて難しいわけだが、p.76に「とりわけ、動物の肉が必需品ではなく贅沢品である場合には」と状況が絞ってある。昆虫食などが推奨してあったら面白かったのだが。

*4ただし、種の間で苦しみを感じる能力が同じとは限らないような議論がある(p.71)ので、同じ人格でも人間と動物でその死の不正の大きさを変えて評価できなくもないようだ。

*5関連記事:豊かな国の人々は途上国のために寄付をしましょう、させましょう

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