2015年9月16日水曜日

韓国民族のエスニシティが形成されたのは90年代初頭

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神戸大学の木村幹氏が『慰安婦問題 なぜ冷戦後に火が付いたのか』で、従軍慰安婦問題が日韓で拗れている原因を説明している。問題を日韓請求権協定の解釈として捉え、植民地支配の清算に関わる基本的な法的な枠組みの一角であり、協定にかねてから不満を抱いている韓国人が、日韓のパワーバランスの変化を背景に、その解釈を改訂したがっていると説明している。90年代に突然、問題が大きくなったので韓国人の民族性は関係ないそうだ。政治学的にはそのような結論が自然なのであろうが、民族性をどう定義するかの問題がある*1にしろ、関係ないと言い切るのは問題に思う。

1. 386世代の台頭は90年代初頭

『「韓国人の民族性」が九〇年代初頭に突如として変化した、と言う事が不可能である』と述べられているのだが、朝鮮人ではなく韓国人の民族性が80年代から形成されていき、90年代初頭に発現したとは考えられないであろうか。90年代初頭は、日本統治時代を知らない新たな教育を受けた386世代が成人の多数を占めるようになった時期が、90年代初頭である。この世代は今は役職者になっており、各方面で主導的立場にあると考えられる。

2. エスニシティは安定的とは限らない

エスニシティが不安定であるのに違和感があるかも知れないが、その形成や変化は歴史的な経路に依存して生じてきている*2。韓国が誕生してからの社会変化は激しい。90年代初頭までは人口動態も大きく、同一世代の考え方がなかなか変わらない事を考えると、世代の入れ替わりが激しいのはエスニシティの変化を誘発する*3。90年代初頭は民主化後の間もない時期であり、また民事訴訟件数の急激な増加など世相の大きな変化も観察される。近年、韓国司法が先鋭化しているとされるが、これも世代交代による影響とも言えるようだ*4

3. 残虐非道の日帝支配と言う歴史認識が韓国人のエスニシティ

どういうエスニシティが形成されたかは議論がありそうだが、教科書にある日本統治時代の激しい抑圧を共通認識として持っているのは確かであろう*5。従軍慰安婦問題に関して、この共通認識は大きな影響を与えている可能性がある。韓国の第7次教育課程(2006年~)の高等学校国定国史教科書の日本語訳のP.126を見ると、既に否定されたことのはずだが、女子挺身隊の一部が従軍慰安婦にされた、終戦後に従軍慰安婦が自決を強要されたり、虐殺されたりした場合があると記載されている。韓国外務省の主張と合致しないのも気になるが、これを信じていたらjus cogensで日韓請求権協定の例外と言いたくなるのも心情的には理解できる。

4. 稚拙な日本政府の対応も、成果が無いとは言えない

木村氏は初期の日本政府の対応を「稚拙」「ギャンブル」と評するのだが、この韓国民族の共通認識を考えると悪くは無い気がしてくる。90年代初頭に『「関与」は存在しない、と繰り返し表明』したことを批判するが、国家総動員法に基づく強制連行の中に従軍慰安婦は含まれていない事は明言するしかない。河野談話とアジア女性基金は事態の収拾に失敗し、むしろ混乱を大きくしたかも知れないが、1993年にこの二つは日韓の間でパッケージとして話が進んでいたそうなので、日本政府の独断ではない*6

「ざっくり謝る」事が現在まで続く問題の先送りになっている気もするのだが、芸妓稼業契約や前借金契約が現在では人身売買にあたる行為であるし、兵士が売春需要を生み出す事自体が人身売買取引を誘発すると主張している人々がいるので、遅かれ早かれ道義的には問題があったことは認めざるを得ないであろう。また日韓関係ではなく日米関係を見ると、2007年の安倍・ブッシュ会談でも、最近のケリー国務長官の発現でも、河野談話は時の米政権にポジティブに評価されている。

5. 日韓基本条約に立ち戻れと言われても

日本語で書いてあるから日本人に向けたメッセージだと思うのだが、日韓基本条約に立ち戻れと言われても、本気で従来関係を破壊しようと思っている日本人は少数であろう。逆に韓国大法院は、国民個人の同意なくその請求権を消滅させることができると見るのは近代法の原理に反すると言う判決を下しており(菊池(2012))、つまり日韓請求権協定自体を無効と言っている。古い条約体制を破棄しようとしている韓国に、日本は何が出来るのであろうか。

そもそも韓国が日韓請求権協定の解釈変更を求めているのであれば、ずっと建設的に話が進んでいたはずだ。韓国政府は日韓請求権協定にある仲裁委員会を要請すればよい。2012年にイタリアとドイツが、1944年6月のトスカーナ地方でのナチスドイツ軍の虐殺に関して国際司法裁判所(ICJ)で争った。日韓で同様の事があっても良いであろう。しかし、国際司法に言及する韓国メディアもあるが、韓国政府はずっと躊躇して来た。

*1『それが所謂「嫌韓本」が指摘するような「韓国人の特殊な民族性」によるものではない』とだけあるので、このエントリーで韓国人の民族性は除外されていないかも知れない。適当だが、嫌韓本は読む気がしないので。

*2本文の韓国の事例との合致は低いが、塩川(2008)に、チェコとスロバキアは近いエスニシティだったが、オーストリア支配とハンガリー支配で行政区分が異なった(p.104)ことや、ユーゴスラビアではクロアチア人とセルビア人と言う区分がされ、共和国が分けられていたために民族意識が高まった(P.132)ことなどが列挙されている。

*3日本の事例だが、岩本(2015)に年齢で見ると変化しているように見える意識が、世代(生年)で見ると変化していない(pp.159—171)と言う議論がある。

*4新潟大学の浅羽祐樹氏が、そのような見解を紹介していた(SYNODOS)。

*5呉(2012)では歴史教育の韓国世論への影響を指摘している。鄭(2004)は、日本統治期を知る一世ではなく二世以降の間で80年代に、在日韓国・朝鮮人は強制連行されてきた人々とその末裔だとする主張が、ほぼ根拠無く発生した事を指摘している。従軍慰安婦問題に関する誤った認識も、80年代に形成されている。

*6「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯 ~河野談話作成からアジア女性基金まで~」に記述がある。なお村山政権が混乱していたと批判されているが、アジア女性基金は宮沢内閣のときに後続措置と日韓で刷り合わせていたモノの実現であり、韓国併合は合法と言う認識も従来政府見解に過ぎない。

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