2015年4月23日木曜日

アイヌは日本の先住民族と言えるか?

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思想家の東浩紀氏がアイヌ民族が日本の先住民族であるかと聞かれて、瀬川拓郎氏の「アイヌ学入門」を文献としてあげつつ事態はそんなに単純では無いと否定した*1事に関して、なぜか厳しく批判されていた*2。皆さん、行間を読む前に行を読もう。そして、紹介された文献を読んでみよう。その上で世界の先住民族とアイヌの違いを考えると、アイヌを単純に先住民族と形容したく無いのも理解できるはずだ。

まずは細部だが、「アイヌは北海道の先住民族であるか?」とは聞かれていない。戦前はアイヌ人=縄文人=本州を含む日本の先住民族と言う説があったのだが、それは否定されている。だから、質問は肯定できない。そして、日本を北海道に変えたとしても、先住民族と言う言葉の響きは、アイヌ人と倭人の関係を誤解させるかも知れない。

アイヌ人と倭人の関係は、人種的に共通の前身を持つ長い相互交流のある二つの文化圏の関係であって、ルーツが大きく異なる人種が突然遭遇した、アメリカやオーストラリアにおける先住民族と欧州からの移民の関係でもなく、古代欧州におけるケルト人やゲルマン人とローマ人の関係ではない。

「アイヌ学入門」の記述によれば、北海道の縄文文化が徐々に周辺文化圏の影響を受けつつ変化し、十世紀ぐらいにアイヌとしてのエスニシティが確立*3され(p.132)、その後も倭人との交易など交流が続き、今のイメージのアイヌ民族は十八世紀以降に形成されたそうだ。

彼らのエスニシティは、倭人と共通のルーツである縄文文化の影響を受けているのは勿論のこと、七世紀から九世紀にかけての本州からの倭人の入植によって、宗教儀礼と農耕などに倭人由来のモノが数多く導入されている(p.220)。また、逆に倭人のマタギ言葉にはアイヌの影響が見られる(P.79)。十世紀には青苗文化と言うアイヌと倭人の折衷文化もあったそうだ。

政府も認めているし、アイヌを北海道の先住民族だとは言っても問題は無い。明治政府がアイヌの伝統的生活やその他の文化の継承を否定したのはも確かだ。しかし、倭人の北海道への進出は、アイヌ人エスニシティの成立以前から始まっている。

要するに、先住民族と言う言葉の響きから連想されるものが何かと言う問題があって、会話の相手がネイティブ・アメリカンやアポリジニを連想している可能性を考慮すると、肯定しづらい所がある。「先住かどうかは、その言葉に与えた定義による」と態度を留保したくなるわけだ。

*1以下のように述べている。

*2例えば『[アイヌ否定論]東浩紀氏がアイヌ民族に関して無知をさらけ出している件』で批判されている。アイヌのエスニシティの否定は全く無いのだが。

*3中世において同じ民族で同じ言語で同じ風習だったのに、支配者が異なる事になったため別のエスニシティに分化したチェコとスロバキアと言う例もある(関連記事:安易に民族やナショナリズムを語るのがまずい事が分かる本)。

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