2015年4月16日木曜日

何が狂っているのか分かる「フランス現代思想史」

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フランス現代思想に詳しい文芸評論家が社会問題等を語るのを見て、稚拙に感じた人は多いのでは無いであろうか。「脱構築」な聞きなれない単語を並べて来る一方で、歴史や制度や技術に関する知識が心もとない。一方で、論理が飛躍するし、矛盾した主張もされることがある。断片的な知識を入れると、言葉の端々から連想される結論に飛びついてしまう。ほんわかしていて批判に備える殺伐感が無い。

激しい教養の欠如を感じるわけだが、一体、何を学んだらこういう風になるのか疑問だった。ラカンやドゥルーズやデリダの文章を読めば分かるのかも知れないが、根本的に間違っていそうな話を延々と読むのはつらい。放置していたのだが、新書なので手軽に読める「フランス現代思想史」と言う概説書が出てきた。著者はドイツ哲学が専門で、英米系哲学の講義もして来た人で、フランス現代思想のタコ坪に入っていない専門家になる。

タイトル通りの内容の本で、良く参照されている20世紀フランスの思想家の名前が列挙されている。構造主義からポスト構造主義への流れが説明されており、思想家が何を取り上げてどう議論してきたかが分かるようになっている。意外に政治指向が強い一方で、問題提起をするものの、それに解答は与えられない傾向があるようだ。そして、やたら難解な書き方がされているそうだ。

ソーカル事件で、フランス現代思想の数学の濫用が批判されたのは良く知られている。この傾向は、数学に関する部分だけではない。これ、英独の学術的で分析的な哲学がある中で、独自性を打ち出し生き残りをかけた戦略だったらしい。前衛的な芸術や文学のスタイルを持ち込むことで、一般の人々をも巻き込んで、思想の流行を形成したそうだ。エピローグの「フランス現代思想のエクリチュール」(pp.253–256)の節で、そう説明されている。

意識的に論説文を捨てようとしたデリダあたりがその極みになりそうだが、論理ではなく感性に訴える方向に発展したようだ。構造主義者に分類されるレヴィ=ストロース*1が、初期の婚姻関係の研究では適切に群論を応用していた事から考えると、驚くべきことかも知れない。レヴィ=ストロース自身も、神学では数学をレトリックに使い出したので、最初から少し狂っていたのであろうが。

フランス現代思想に中身が無いと言うわけでもないらしいが、根拠となる情報を論理的につないで何かを分かりやすく主張するための模範にはならないようだ。社会科学では読者の、そして自分の想像力が膨らまない議論が必要なわけで、まったく反対方向に進化している。こういうのに親しんできたら、やはり稚拙な議論しか出来なくなるのであろう。なお、本書の説明は明快であった。

*1フランス現代思想における「構造」もill-definedな面があり、レヴィ=ストロースのそれと、後の思想家のそれとは意味が異なるらしい。構造主義者と言う分類自体が強い意味は無い。

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