2015年4月13日月曜日

ノビー、村上春樹の問題意識は間違っていないから

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経済評論家の池田信夫氏が、小説家の村上春樹氏の反原発の弁誤解に基づく難癖をつけている。村上氏の発言も、費用便益分析も、現地事情も理解していないようだ。

まず、『村上のような人々が「被災地を除染して放射能を1mSvにしないと帰宅させてはいけない」と言い張っている』とあるのだが、村上氏が除染をどこまですべきか主張した形跡が見つからない。「村上氏のような人々」に村上氏が含まれないのかも知れないが、原子力政策の是非と放射線防護の適性水準は別の議論なのだから、二つに関して同じ主張をするとは限らない。

次に、(村上氏は)『毎年5000人の死者と15万人の避難者を混同している』と指摘しているが、この批判は死者の数だけで危険性を評価している。池田信夫氏が良く参照する費用便益分析では、様々な損害を一元的に取り扱うために、金銭換算を行なって評価する。それを踏襲すれば、毎年の死者5,000人と15万人の避難者を比較してはいけない理由は無い。むしろ費用便益分析の観点から言うと、自動車と原発は便益が異なり過ぎる所を批判すべきであろう。自動車の替わりに火力発電所を挙げられるだけだが。

最後に、避難者が避難区域に戻れない理由をよく理解していない。『人々が「被災地を除染して放射能を1mSvにしないと帰宅させてはいけない」と言い張っているから』と言うのは、避難指示区域を確認もせずに言っているのが分かる。年間50mSv以上の追加被曝が予想される帰還困難区域は、まだ広い範囲で広がっている。年間20mSv以上になりうる可能性のある居住制限区域もある。避難指示解除準備区域が圧倒的に広いわけではない(経産省)。また、政府は避難指示解除をしても、「帰宅するよう勧告」したことは無い。

そもそも放射線量だけが問題ではない。原発事故があって一度避難をし、何年も後に帰還するのは、大きな労力を要する。電気や水道などのインフラの復旧だけではなく、商店などの営業が再会されないと生活は難しい。無居住の家は傷みやすい。避難先で仕事を見つけ新しい生活に馴染んでいる場合は、帰還すれば一からやり直しになりかねない事にも注意が必要だ。

もちろん原発の是非をコストだけで判断するわけにはいかない。資源の賦存量や発電の安定性、そして温暖化ガス排出を考えると、原子力は未だに有望な発電源だ。安全面も強化していくことは出来る。しかし、原発災害で実際に発生した問題は事実あるわけで、そこから目を背けるわけにも行かない。

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