2015年2月12日木曜日

曽野綾子のコラムが暗示する問題

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産経新聞の作家・曽野綾子氏のコラム「透明な歳月の光」が、反感を呼んでいる。コラムでは、高度な日本語能力も専門知識も要らない介護のために労働移民を受け入れるべきだが、文化ギャップがあるので法的に居住地は別にすべきと主張している。根拠は何十年か前の南アフリカの話のようだ。

ツッコミ所は多い。定住を前提とした移民では無く、出稼ぎ外国人労働者の受け入れの話な気がするし、介護職に高度な日本語能力や専門知識が要らないわけでは無いであろう。簡単な英会話ができない日本人も多いことを考えると、簡単な日本語の習得も曽野氏が言うほど容易ではない。在日韓国・朝鮮人一世の生活苦の最大の理由は日本語であろう。何よりも憲法第二十二条や人種差別撤廃条約はどこへ行った?

以前からこういう傾向があるので、いまさら驚くべき所は無い。そもそも感性に頼っていて、多面的な情報には接していない人は、世の中に多くいる。問題は、曽野綾子氏が教育再生実行会議委員であることだ。安倍内閣は彼女を重用しているのだが、考え方が近いからなのかは確認すべき問題だ。曽野氏と安倍総理の考え方が近いのであれば、大きな問題になる。記事として売れないのでメディアは何もしないであろうし、教育問題では票が稼げないので野党議員も関心を持たないであろうが。

1 コメント:

motiduki さんのコメント...

私はその曽野の意見そのものには大いに反対なのであるが、その主張が繰り出されるロジックは少なくとも推察可能ではあると考える。
前提として、労働者数の趨勢的な減少があり、それを移民なり何なりでカバーしなければならない。という絶対命題が存在する。(この命題そのものがある程度疑わしいものであるが、それは現在でも論争の分かれるところであって、専門外の曽野にその論争についていくのを求めるのは酷というものであろう)
一方で、移民は言語ももちろんのこと、生活様式、道徳体系(宗教など)の不一致から、在来民族との混住において解決がほぼ不可能な問題を噴出させてきたことは、欧米を見るに明らかであり、単に移住させるだけという移民は社会秩序の不安定化を伴って失敗を運命付けられている。

となれば、このアンビバレントな命題を解決するたった一つの『冴えない』やり方は、南アフリカ方式ということになろう。

そう考えれば、南アフリカ方式というのは、人種差別撤廃条約のようなぽっと出の綺麗事とは違い、現実的なまずまずの妥当性を持っていたのだろうということもわかる。もちろん、現代的なぽっと出の善悪観から見ると良くないことかもしれないが、現実生活の安定性を保障を考えると、導かれ得る結論ではある。

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