2014年10月7日火曜日

稲葉氏が「まだ詰められんかなあ。と思うんですが」と言うのでスウェーデンのマクロ金融政策小史を確認してみた

このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

前のエントリーで松尾氏とは十分に意見交換をしたと思うものの、稲葉振一郎氏がスウェーデンのマクロ金融政策で何かもやもやしているようなので、蛇足(右写真参照)的にちょっと材料を探してみた。ついでに紀要論文の再校までに届くかも知れない。

さて、BISのスウェーデンに関する資料を引っ張ってこよう。"Karolina Ekholm: Why Swedish monetary policy needs to be more expansionary"と言うタイトルで、スウェーデンの中央銀行になるリクスバンクの副総裁のスピーチ。大本営発表にはなるが、事実関係に誤解は無いはず。しかも個人的にと前置きして、拡張的金融政策に理解を示しているから、現状追認をしたがっている人ではないようだ。

確認したいのは、スウェーデン社会民主労働党がマクロ金融政策で雇用拡大を狙って来たか否かの一点だ。2ページ目のWhy an inflation target and independence?以下がスウェーデン金融政策小史になっていて、それを考えるヒントになる。

The repo rate was kept at a high level to bring down inflation, despite relatively high unemployment, which led to criticism from several areas. (拙訳:(過去20年間)幾つかの方面から非難を浴びることになったが、インフレ率を引き下げるために、相対的に高い失業率にも関わらず、(政策金利である)レポ・レートは高い水準に維持された。)

これは大本営発表だから半信半疑で良いのだが、建前上はこう言う主張になっている。統計上も、確かに失業率は高止まりしていて、公定歩合を4%台まで落としたのはインフレ率が1%を切ったときだった*2。また、1995年*1からインフレ目標政策を導入しているので、それは大本営発表の信頼性を高めることになる。さらに大本営発表だけではない、重要な一文がある。

In practice, the Riksbank conducted its monetary policy independently from the mid-1990s, but formally it was not given an independent status until 1999.(拙訳:実際、1990年半ばからリクスバンクは独立した金融政策を実行してきたが、1999年までは公式には独立性が与えられなかった。)

事実関係だけに注目しよう。1999年にリクスバンクに公式に独立性を与えたのは誰か? ─ 当時の与党第一党スウェーデン社会民主労働党*3

素直に読めば、社会民主党は高失業率にも関わらずリクスバンクのインフレ抑制政策を許容し、1999年には政治がそれを妨害出来ないように独立性を与えた。穿った見方をすると、社会民主党は緩和的な金融政策をしたいのに、1999年に自らそれが出来ないようにしてしまった。どちらにしろ、スウェーデン社会民主労働党がマクロ金融政策で雇用拡大を狙って来たとは言えない。

バブル前は失業率が2%を切る経済だったのが6年間も8%を超える失業率が続いていたのだが、社会民主党は緊縮財政政策を取る一方で、インフレ抑制的な金融政策を続けた。結果としては財政再建とインフレ抑制には成功しているわけだが、雇用は芳しくないように思える。これはリフレ派ではなく、財政再建論者から見た成功事例なのでは無いであろうか?

追記(2014/10/08 22:39):なぜ法的な独立性もないのに1990年半ばからリクスバンクは独立した金融政策を実行してきたのか、なぜ雇用の最大化を目指すはずの社会民主党が1999年に独立性を与えたのか疑問に思うかも知れない。ストックホルム大学のLars Calmfors氏の説明によると、1995年のEU加盟で中央銀行の独立性が求められたため、社会民主党が音頭をとってリクスバンクの独立性を高める五党合意を取り付けたそうだ(Calmfors(2013))。EU加盟のために、社会民主党は緩和的な金融政策を諦めたと言える。

*11993年に導入宣言、1995年から施行。

*2以下の表からは、失業率よりもインフレ率に呼応して政策金利が変化しているように読み取れると思う。なおインフレ目標値は2±1%で、3%を超えていると高金利、1%を下回っていると低金利を維持することが求められる。

公定歩合(%) 失業率(%) インフレ率(%)
1993 6.75 9.05 4.73
政権交代(1994年9月)
1994 5.38 9.36 2.16
1995 7.13 8.80 2.46
1996 4.88 9.56 0.53
1997 2.50 9.89 0.66
1998 2.24 8.20 -0.27
1999 1.25 6.73 0.46
2000 2.11 5.60 0.90
2001 1.88 5.83 2.41
2002 1.87 5.95 2.16

*3前のエントリーでは、現在の制度を参照しつつ「中央銀行の独立性は高いようだ」と書いてしまっているので、そこは不正確になる。

5 コメント:

松尾匡 さんのコメント...

いや、昨日のが再校で、もう出しちゃったので...(笑)。

私も昔からずっと独立性が規定されていたのだと思っていたから、わかってたらこっちの方が自分にとっては都合よかったのですけど。(財政再建に目処がついて、財政政策が使えるようになったから、金融政策は独立させていいだろうということになったとも勘ぐれますし。)

インフレ目標を掲げる以上はインフレ率に反応するのは当然のことと思いますし、上の数字からは、90年代後半は基本的に利下げが続いて──「独立」後ですが──今世紀に入ってからはインフレ率が2%を超えても利下げが続いているので、いささか水掛け論的で気が引けますが、緩和傾向という印象はくつがえらないと思います。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん
> 財政政策が使えるようになったから、金融政策は独立させていいだろうということになったとも勘ぐれますし

1999年以降に財政政策を積極的に使っていない(失業率の上昇、就業者の減少にも関わらず2004年は財政黒字にした)ので、これは無理があると思います。

リクスバンクが失業対策をしているとすると、1995年の金融引締めが説明がつかず、スウェーデン社会民主労働党が厳しいインフレ抑制策に批判的とすると、1999年の立法措置が説明つかないのです。

また金利がだんだんと低下してきている事を証拠とされていますが、これはインフレ率の低下によるものとも言えるわけで、マクロ金融政策で雇用対策を行なったと言う証拠にはならないです。

エコノミストでリクスバンクの副総裁のKarolina Ekholm氏も、失業対策よりもインフレ抑制を優先させてきたと、中央銀行の独立性は尊重されたと言及しています。

リフレ左派の人々からみて、スウェーデン社会民主労働党が単にシバキな政党であったとするのが、もっとも素直な見方ではないでしょうか?

uncorrelated さんのコメント...

>> 松尾匡 さん
ストックホルム大学のLars Calmfors氏の説明を見つけました。

1994年にLindbeck Commissionが中央銀行の独立性を高めるべきと言うレポートを提出したものの、社会民主党は専門家が政府と目的を共有せず、財政政策との調教が取れなくなる事を危惧して当初は拒否。しかし、1995年のEU加盟で中央銀行の独立性が求められ、1997年に独立性を高める5党合意を開始したそうです(P.10--11)。
http://people.su.se/~calmf/calmforsoup130730.pdf

これによると、やはり完全雇用を目指して社会民主党が中央銀行に圧力をかけた可能性は無いと思います。フリーハンドは1995年、1996年だけになり、1995年が高失業率での金利引き上げになりますからね。

松尾匡 さんのコメント...

このペーパーは面白いですね。ご教示ありがとうございます。
ファイル名が最初Calm for Soupという題名かと思って、「スープがこぼれないように」という経済安定化の比喩の気の効いた題名と思ったら、Calmforsさんという人名でした(笑)。

さて、中央銀行の独立はEU加盟がらみということだったのですね。「勘ぐり」はただの「勘ぐり」でしたので、お忘れ下さい。加盟年の95年の引締めはそのせいもあったのかもしれません。
このペーパーによれば、さらに、EUに加盟しておきながら97年にユーロに加わらないと決めたために、中央銀行の独立が特に求められたとされています。ユーロ側としては、当然の要求だと思います。
(意図したことかどうかは知りませんが、その後スウェーデンの金融緩和傾向は続いて、クローナ安でスウェーデンの輸出は伸びたので、ユーロ側がおそらく97年当時懸念していたことは、これによって結果としては防ぐことはできなかったのだと思います。)

私は、政府の「圧力」というよりは、中央銀行がある程度自ら進んで政権(国会多数派)の意向を共有しているというイメージでいます。それが「独立」後も続いていると思います。確証があるわけではないのですけど。
中央銀行の理事を決めるGeneral Councilは、国会が選び、理事は国会に説明責任を負うというような説明もありますし。
(スベンソンは保守党時代にたしか副総裁だったと思いますが、いつも緩和拡大を主張して理事の多数派と対立し、意見が入れられなかったのですが、p.15の注14では、Councilの不支持を見て取って二期目出馬をやめたというようなことが書いてあります。)

このペーパーの随所に、中央銀行は産出と雇用のことも重視しているということが書いてありますし。

繰り返して恐縮ですが、金融政策がただ専らインフレだけを見てなされて、たまたまその結果が金融緩和的になって雇用が増えただけという可能性は否定できないとは思います。しかしその場合は、中央銀行が雇用のことを気にせずに、ただ目標インフレを満たすことだけを考えるだけで、総需要が伸びて雇用が拡大したのですから、リフレ論の論拠にはなると思います。

uncorrelated さんのコメント...

>>松尾匡 さん

どうもです。ファイル名は私は気づかなかったです(笑)

> 私は、政府の「圧力」というよりは、中央銀行がある程度自ら進んで政権(国会多数派)の意向を共有しているというイメージでいます。

これは任命権が国会にある以上、あり得るわけですが、その徴候を示す数字や記事は見つけられませんでした。最初に長期金利が急騰したので、政権与党も無闇に緩和して欲しくは無かったのかも知れません。

> 中央銀行が雇用のことを気にせずに、ただ目標インフレを満たすことだけを考えるだけで、総需要が伸びて雇用が拡大したのですから、リフレ論の論拠にはなると思います。

スウェーデンは量的緩和は行なっていないのでリフレーション政策とは言えないと思いますが、インフレ目標政策を評価する材料にはなりますね。ただし、日銀法改正論者や裁量的な金融政策を期待する人には、失業率の高さとそれが5年間も継続したことを含めて、思っているものと違うものになりそうです。これは金融政策では無いですが、不況下で断行された緊縮的な財政政策もそうですよね。

コメントを投稿