2012年4月8日日曜日

その教育便益の計算方法は適切?

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世界銀行本部開発経済局統計課の畠山勝太氏が、教育のコスト/便益から見て、日本の大学生の数は多すぎはしないと主張している(SYNODOS)。しかし、コスト/便益分析の解釈が適切だとは言えない。

教育便益の発生理由を、「スクリーニング仮説の影響力は人的資本論よりも限定的であると考えられる」と天下り的に人的資本論に立脚してしまっているからだ。単なるコスト/便益分析では、便益の発生理由を特定する事ができない。

1. スクリーニング効果は無視?

大学教育には二つの効果があると思われている。一つは卒業生の生産性を工場させる、人的資本論的な効果で、もう一つは卒業生が優秀な人材である事を企業に知らしめすスクリーニング効果だ。畠山氏は教育便益を人的資本蓄積の結果だと見ているが、スクリーニング効果を無視する事はできない。

就職活動が大学名で決まるのは入試を頑張ったからだと言い切る人もいるわけで、就職活動で大学の成績が重視されているとも聞いたことが無い。企業側は1年以上も学生を就職活動で引きずりまわしているが、それで労働生産性が下がるとは思っていないようだ。

2. 教育便益はスクリーニング効果でも説明できる

スクリーニング効果を考慮すると、大学生は卒業だけすれば良い。もともと生産性の高い人間が、大学に進学するはずだからだ。そして、もともと高い生産性を生かすので、高い賃金や低い失業率を享受する事になる。畠山氏が示した教育便益は、全てスクリーニング効果でも説明できるものだ。

3. 人的資本形成効果とスクリーニング効果の識別

人的資本形成効果とスクリーニング効果を識別するのは難易度が高い。実験経済学的な手法ができればよいのだが、これは倫理的に許されない。

しかし同じ大学で、入学時点の成績をコントロールした上で、授業の成績と、その後の収入を比較する事は可能であろう。授業で良い成績を収めていたら、人的資本の形成が大きいと見なすべきだからだ。単純に大卒と非大卒の生涯年収などを比較していても、人的資本の形成効果は量れない。

4. 大学生は多すぎるか?

スクリーニング効果を排除した上で、人的資本の蓄積効果を測定しないと結論は出ない。もちろん医師・薬系であれば業務に直結した学習をするわけだし、理系の大学などでは専門教育に4年間耐えられた事の証になるため、それがスクリーニング効果だとしても他に代わりは無いであろう。問題は文系で、大学で学んだ事を社会に役立てている人はどの程度いるのであろうか?

畠山氏は経済学修士を得て国際機関に勤務しているので、間違いなく役立ててはいると思う。しかし、世の中の多数の人間はそうではない。文系で最も社会に出て役立ちそうな経営学も、近年の米国ではその価値が疑われているようだ(WSJ日本版)。

A. 補足

畠山氏の分析は、教育効果の費用便益分析としてはともかく、大学に進学する事で個人が得られる便益は簡潔に表している。社会的に大学教育をサポートすべき理由にはならないが、個人が大学に進学すべき理由にはなるであろう。

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