2011年6月4日土曜日

経済学者を名乗る池田信夫の契約理論への理解を疑う

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ミクロ経済学には契約理論と呼ばれる分類がある。これは、事前に決めた契約が、事後的に守られない状況において、どのような契約が最も効率的になるかを分析するものだ。

最も身近な例が賃金だ。従業員は業務に努力すると約束して入社するが、固定給にすると従業員が努力しない。しかも陰でさぼられる。そこで賞与を導入し、業績をあげた従業員に余分に給与を与える事で、従業員の努力水準を改善する。

平易に言えば、事後的に守らす強制力が無い契約を不完備契約と言う。依頼人(Princepal, 例では雇用主)と代理人(Agent, 例では従業員)の間の問題なので、経済学ではエージェンシー問題と呼ぶ事が多い。古典的な解だと均衡概念が曖昧なので、ゲーム理論が動員されており、そこでは交渉問題と呼ばれている。

さて、経済学者を名乗る池田信夫氏が、日本の政治について述べている(BLOGOS)。文意を掴むのが難しいが、池田氏の主張はこうであろう。

  • 従来の派閥は、トップが組織を作ったので、交渉問題が存在しない
  • 現在の派閥は、トップが組織を作っていないので、交渉問題が存在する
  • 首相公選制にし、トップに集中的な権力を持たせる事で、交渉問題を解決するべきだ

経済学的に問題を指摘しよう。なにがなんだかわからないよ。依頼人、代理人、そして契約の内容が明らかにされていない。誰かが誰かに仕事を頼まないと、エージェンシー問題は成立しない。日本の派閥は、誰が依頼人で、誰が代理人なのであろうか?

また、経済学者、特にミクロ金融に関わっている人々は、以下の一文に昏倒するかも知れない。

こういう場合は所有権(残余コントロール権)を資本家(株主=経営者)に集中する古典的な資本主義がうまく機能する、というのがハートなどの古典的な結論である。

ハート(Oliver Hart)について解説すると、金融理論を専門とする経済学者で、不完備契約に関しての業績を多数持つ。Firms, Contracts, and Financial Structure(Oxford University Press, 1995)というテキストを書いている。池田氏が参照しているのは、そのテキストの邦訳版だ。論文ではなく教科書だ。

また、クライアントとエージェントが同一(池田氏の文では株主と経営者が同一)であればエージェンシー問題が発生しないというのは、Jensen and Meckling (1976)という論文で指摘されていることで、上述のテキストにも紹介されているが、クライアントとエージェントを同一にできない大抵のケースは役立たない。

さらにエージェンシー問題の古典的な結論は、不完備契約を適切にデザインすることで、クライアントとエージェント間の利害不一致は、なるべく解消されていると言うのが古典的な結論となっている。冒頭のボーナス制度がその代表例だ。

池田氏は、日本の政治に関して誰がエージェントで、誰がクライアントで、どんな契約があるのかを明らかにしておらず、エージェンシー問題が発生している事を示せていない。さらに、ミクロ金融における古典的なエージェンシー問題を正しく理解しているのか疑念がある。これでは、池田信夫氏が本当に経済学を分かっているのか、疑いを持たざるを得ない。

専門知識の解説を行う専門家と一般人の関係は、エージェンシーとクライアントの関係と言える。専門家は一般人の代わりに調査・研究を行っているとも言えるからだ。対価は講演料や本の売上になるのだろう。しかし、一般人は専門家が本当に正しい事を言っているのかは分からない。情報の非対称性を悪用し、専門家がデタラメを言っていても、一般人は分からない。

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